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福岡地方裁判所 昭和44年(つ)1号 決定

請求人 代表請求人 水口宏三 外六二名

目  次

主文

理由

第一、本件被疑事実および請求の趣旨

一、被疑事実

二、請求の趣旨

第二、本件請求の適否および請求の範囲

一、本件請求の適否

二、本件請求の範囲

第三、審理の経過

第四、本件事案の経過および概要

一、いわゆる三派系全学連中核派を中心とする学生らの動向

二、博多駅における警備状況

三、博多駅における学生らの行動とそれに対する鉄道公安部隊および警察部隊の措置

第五、特別公務員暴行陵虐の被疑事実(圧縮、排除行為)について

一、学生らに対する実力行使の適法性について

二、圧縮、排除の過程における警察官による暴行の存否について

第六、公務員職権濫用の被疑事実(所持品検査)について

一、本件職務質問の適法性について

二、所持品検査の根拠および限界

三、所持品検査の具体的態様について

四、本罪の成否

第七、各被疑者の刑事責任

第八、結論

(注) 本文中において証拠を引用するにあたり、頻繁に使われるものについては、次のとおり略記した。上欄の略記はそれぞれ下段の証拠を意味する。

何某の証人調書……………………当裁判所あるいは受命裁判官の証人何某に対する尋問調書

何某の被疑者調書…………………当裁判所あるいは受命裁判官の被疑者何某に対する取調調書

何某の刑事事件証人調書…………福田政夫に対する福岡地方裁判所昭和四三年(わ)第七一号公務執行妨害被告事件記録中の公判調書(証人何某の供述部分)あるいは証人何某に対する尋問調書の謄本

福田政夫の刑事事件被告人調書…右記録中の公判調書(被告人福田政夫の供述部分)の謄本

何某の検察官調書…………………何某の検察官の面前における供述を録取した「供述調書」と題する書面

何某の人権調査書…………………福岡法務局人権擁護部に係属中の昭和四三年(直)第四号警察機動隊員による不当な所持品検査等事件記録中、何某の法務事務官の面前における供述を録取した「調査書」と題する書面

何某の人権聴取報告書……………右記録中、法務事務官が何某から事情を聴取した結果を上司に報告した「聴取報告書」と題する書面

何某の供述書………………………請求人前田知克が提出した何某作成の「供述書」と題する書面の写

なお本文中の場所関係の理解の便のため、博多駅平面図および博多駅南集札口付近平面図各一枚を末尾に添付する。

決  定

(請求人氏名略)

右の者らから、別紙被疑者名簿記載の一〇九名を被疑者とする刑事訴訟法二六二条一項の請求があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件各請求を棄却する。

理由

第一、本件被疑事実および請求の趣旨

一、被疑事実

被疑者らは、いわゆる三派系全学連所属学生が、米原子力艦艇佐世保寄港阻止闘争に参加するため、福岡市三社町所在国鉄博多駅に下車する際、強制的に違法な所持品検査をしようと企て、昭和四三年一月一六日午前六時四五分同駅着の急行「雲仙・西海号」で前記団体所属の学生約三〇〇名が下車し、同駅南集札口に通ずる南旅客通路に至つた際、福岡県警察機動警ら隊二個大隊約八〇〇名をもつて南集札口を閉鎖し、学生らの背後に鉄道公安機動隊を配置し、よつてその進退を制約したため、学生らがこれに抗議し、その閉鎖が解除されることを求めて待機していた。しかるに被疑者らはこれに応じないのみか共謀のうえ

(一)  同日午前七時三六分ごろ、被疑者福岡県警察本部警備部長渡辺忠威の指揮により、被疑者片岡照征ほか福岡県警察機動警ら隊約五〇〇名は、前記場所に滞留を余儀なくされていた学生らの正面から突進し、同時に学生らの後方より被疑者博多鉄道公安室長前田光雄の指揮する鉄道公安機動隊約七〇名が挾撃し、逃げまどう学生らを一人一人分断したうえ、南集札口内側の階段上から同集札口めがけて順次投げ飛ばし、あるいは突き飛ばし、さらに足払いをかけて顛倒させたうえ突き落し、階段下において、手拳または警棒で、頭部、背部等を殴打するなどの暴行を加えた

(二)  ひきつづき、前記集札口内側に待機していた福岡県警察機動警ら隊約三〇〇名は、階段上から投げ飛ばされあるいは突き落された一人一人の学生を三名ないし四名の隊員で取りおさえ、順次集札口外に強制的に連行したうえ「手を上げて真直ぐ立て。」「上衣を脱げ。」「所持品を皆出せ。」などと怒号しながら、女子学生を含めた前記学生全員に対し、全身をなでまわし、ポケツトに手を入れ、バツグを開いたりして強制的にその所持品を検査し、同時にその場所において学生らの顔写真を撮影し、もつて前記学生らに対し義務なきことを行わしめた

ものである。

二、請求の趣旨

請求人らは、被疑者らの前記被疑事実の所為につき、刑法一九五条(特別公務員暴行陵虐)、同法一九三条(公務員職権濫用)の罪に該当するとして、昭和四三年三月一六日、福岡地方検察庁検察官に告発したところ同庁検察官は被疑者らを不起訴処分にしたが、右処分には承服できないので、刑事訴訟法二六二条に則り、事件を裁判所の審判に付することを請求する。

第二、本件請求の適否および請求の範囲

一、本件請求の適否

(一)  本件請求手続の適否

福岡地方検察庁検察官は、昭和四四年三月二五日、請求人らが告発した被疑者ら約八七〇名全員について、いずれもこれを不起訴処分に付し、翌二六日告発人である請求人らに対し、郵便はがきをもつて、右不起訴処分の通知を発したこと、請求人らは同月三一日ごろ右通知を受けたので同年四月四日本件請求書を福岡地方検察庁検察官に差し出して本件請求に及んだことが、本件請求書、不起訴裁定書、福岡地方検察庁検事正安田道直作成の昭和四四年九月四日付「付審判請求事件について(回答)」と題する書面、当裁判所書記官作成の福岡地方検察庁検察事務官浜地某、請求人篠原文治、同福岡清に対する各電話聴取書によつて認められるので、請求人らの本件請求手続は適法である。

(二)  被疑者を特定しない請求の適否

請求人らは、当初別紙被疑者名簿記載の被疑者(1)、(2)、(8)、(40)(以下、被疑者の下に付した番号は、別紙被疑者名簿記載の番号をさす)のみの氏名を記載し、その他は「本件の際出動した警察部隊員約八〇〇名、鉄道公安部隊員約七〇名」とのみ表示して本件請求に及んだが、昭和四四年九月三〇日付(同年一〇月二日受理)の審判請求一部取下書および同年一〇月七日付(同年一〇月一二日付受理)の釈明答弁書をもつて、被疑者(1)、(2)、(8)、(40)の四名のほか、被疑者(3)、(4)、(7)、(9)、(10)、(12)、(15)、(19)、(20)、(46)、(47)、(48)、(51)の一三名の氏名を記載したうえ、これら一七名と「当日出動した警察部隊のうち第一大隊第一、二、三中隊の各小隊長」「当日出動した警察部隊のうち加藤徳右エ門指揮下の職務質問部隊(以下職質部隊という)全員」「当日出動した鉄道公安部隊のうち分隊長以上の者全員」以外の者については、本件請求を取下げた。

ところで、請求人において被疑者の氏名を特定しないでなした付審判請求は適法であるかどうかの問題があるが、本件において主張されているような事案の規模、態様、被疑者の数などにかんがみるときは、氏名を記載して被疑者を特定しなかつたということだけで、直ちに請求が不適法になるものと解すべきではない。被疑者が警察官等であつて請求人側において被疑者の氏名を特定することが極めて困難であるという事情を考慮すると、本件のような場合においては、被疑者の所属部隊名あるいは部隊における被疑者の地位などをもつて被疑者を特定することも止むを得ないところでありかつ右の程度をもつて被疑者を特定しておれば足りるものと解する。

そして、後記被疑者の特定のための調査欄記載のような方法による調査の結果「当日出動した警察部隊のうち第一大隊第一、二、三中隊の各小隊長」は、被疑者(5)、(6)、(11)、(13)、(14)、(16)、(17)、(18)であることが判明し「当日出動した鉄道公安部隊のうち分隊長以上の者」は、すでに請求人らにおいて氏名を特定している者を除いて、被疑者(41)ないし(45)、(49)、(50)、(52)ないし(57)であることが判明し、さらに「当日出動した警察部隊のうち加藤徳右エ門指揮下の職質部隊全員」は、右加藤徳右エ門を含めて七二名であり、そのうち被疑者(21)ないし(39)が右職質部隊員であることが判明したが、残りの職質部隊員五二名については、ついにその氏名が判明しなかつた。

(三)  被害者を特定しない請求の適否

請求人らは、当初被害者の氏名を全く特定しないで本件請求に及び、当裁判所の釈明に対しても、別紙被害者名簿記載の被害者(1)ないし(7)、(11)、(13)、(14)、(16)、(25)、(41)ないし(45)(以下、被害者の下に付した番号は、別紙被害者名簿記載の番号をさす)の一七名の氏名を特定したにすぎないけれども、本件請求書の記載内容からすると、請求人らとしては右一七名の者に関する特別公務員暴行陵虐および公務員職権濫用についてのみ本件請求をしているものではなく、本件の際博多駅に下車し南旅客通路に滞留したいわゆる三派系全学連所属の学生約三〇〇名を被害者とする前記被疑事実記載の暴行陵虐および職権濫用の全般にわたりすべて本件請求の対象とした趣旨であると解される。

そして、請求人において被害者の氏名を特定していないからといつて、直ちに本件請求が不適法になるものと解すべではない。

二、本件請求の範囲

そうすると、結局、本件請求の範囲は、別紙被疑者名簿記載の被疑者(1)ないし(57)および氏名不詳の職質部隊員五二名合計一〇九名に対する前記三派系全学連所属の学生約三〇〇名を被害者とする前記被疑事実記載の特別公務員暴行陵虐罪および公務員職権濫用罪である。

第三、審理の経過

一、検察官より送付を受けた記録(全八冊)の検討

二、別紙被害者名簿記載の(8)福田政夫に対する福岡地方裁判所昭和四三年(わ)第七一号公務執行妨害被告事件(以下刑事事件という)記録中の公判調書(被告人福田政夫ならびに各証人の供述部分)の謄本、各証人に対する証人尋問調書の謄本の検討

右謄本は、右被告事件についての判決言渡後、記録が当裁判所に保管されている間に作成したものである。

三、人権擁護記録の取寄検討

福岡法務局から同局人権擁護部に係層中の昭和四三年(直)第四号警察機動隊員による不当な所持品検査等事件記録(全四冊、以下人権擁護記録という)を取り寄せ検討した。

四、少年保護記録の取寄検討

大阪家庭裁判所から別紙被害者名簿記載の(10)平田豪成に対する同庁昭和四三年少第一一六二号公務執行妨害傷害保護事件記録を取り寄せ検討した。

五、被疑者の取調

(一)、被疑者の特定のための調査

本件請求当初、福岡県警察本部長および博多鉄道公安室長に対し、それぞれ「本件の際出動した警察部隊員約八〇〇名、鉄道公安部隊員約七〇名」の名簿の提出を求めたが、いずれも調査が困難である等の理由で拒絶され、被疑者の特定は困難となつたが、前述のように請求人らにおいて本件請求を一部取下げたため、結局被疑者中、氏名不詳の者は、職質部隊員五二名のみとなつた。

1 請求人らにおいて氏名を特定しなかつた被疑者らのうち「当日出動した警察部隊のうち第一大隊第一、二、三中隊の各小隊長」については、検察官より送付を受けた記録によつて、被疑者(5)、(6)、(11)、(13)、(14)(16)、(17)、(18)であることが判明し、すべて特定できた。

2 請求人らにおいて氏名を特定しなかつた被疑者らのうち「当日出動した鉄道公安部隊のうち分隊長以上の者」については、検察官より送付を受けた記録によつて、その姓のみ判明していたので、門司、熊本、大分、鹿児島各鉄道管理局長あて職員名簿の提出を求めていたところ、被疑者(40)前田光雄(提出当時門司鉄道管理局公安課長)が任意に国鉄九州支社職員名簿(昭和四三年七月一日現在、昭和四四年八月一日現在のもの各一冊)を提出したので、右名簿を調査した結果、すでに請求人らにおいて氏名を特定しているものを除いて、被疑者(41)ないし(45)、(49)、(50)、(52)ないし(57)であることが判明し、すべて特定できた。

3 請求人らにおいて氏名を特定しなかつた被疑者らのうち「当日出動した警察部隊のうち加藤徳右エ門指揮下の職質部隊全員」については、検察官より送付を受けた記録によつて、右職質部隊員は右加藤徳右エ門を含めて七二名であつて、そのうち被疑者(20)ないし(24)、(27)、(29)、(30)、(36)の九名の氏名のみが判明していた。

右九名以外の職質部隊員の氏名割出しのため、右部隊は当時の博多警察署員をもつて編成されていたことは判明していたので、博多警察署長に対し、昭和四三年一月一六日博多駅に出動した職質部隊員の名簿および当時の職員名簿の提出を書面をもつて要求したが、調査および提出が困難であるとの理由で拒絶されたので、さらに同署長に対し、昭和四三年一月当時および現在(照会昭和四四年一一月二六日)の同署職員の職務担任表の提出を求めたところ、昭和四三年一月当時の分については調査が極めて困難であるとして、昭和四四年一二月一日現在の博多警察署署員〔職務担任〕名簿のみ提出した。

そこで、右名簿記載の署員中、女子とすでに被疑者として特定されている者を除く全員に対して、当日博多駅に職質部隊員として出動したか否かを書面で照会した結果、被疑者(25)、(28)、(32)、ないし(35)、(37)ないし(39)の九名から出動した旨の回答があつた。

さらに調査した結果、博多警察署に昭和四三年一月分の給与調書が保管されていることが判明したので、同署長に対し右調書の提出を求めたところ、同署長が任意提出した。

そこで、右調書によつて昭和四三年一月当時、博多警察署に勤務していたことが判明した者について(女子およびすでに被疑者として特定されている者を除く)、受命裁判官による尋問あるいは書面による照会によつて、当日博多駅に職質部隊員として出動したか否かを調べた結果、被疑者(26)、(31)の二名が出動した旨回答した。(なお右二名のほか、吉田正人、原田正治、石井辰夫、毛利寿盛の四名についても、同旨の回答があつたが、その後の取調の際には出動していなかつたと述べ、他に同人らが、本件当時職質部隊員として出動していたと認むべき証拠がないので、最終的には被疑者として取扱わないこととした。)

(二)  被疑者の取調

1 第一次取調

被疑者らのうち(1)前田利明、(2)渡辺忠威を除く別紙被疑者名簿記載の五五名全員について、当裁判所または受命裁判官により、本件の警備の際の行動等について取り調べた。なお、被疑者(1)前田利明は、被疑者としての取調には応じられないとして当裁判所による取調を拒否したので、同人を取り調べることはできなかつた。被疑者(2)渡辺忠威は病気(脳血管障害)のため当裁判所の取調に応ずることができなかつたので、本件警備における同人の役割等について書面で回答を求めたところ、簡単な回答があつた。

2 第二次取調

職質部隊の久保山小隊員として出動した被疑者(23)ないし(34)の一二名について、当裁判所により押収したテレビ用一六ミリフイルム中の所持品検査をしている場面の拡大写真を示して再度取り調べた。

さらに、被疑者(3)ないし(6)、(20)ないし(22)の七名について、当裁判所により押収したテレビ用一六ミリフイルムの拡大写真等を示して再度取り調べた。

3 顔写真の入手

右職質部隊員一二名のほか被疑者(35)御幡良平、吉田正人計一四名について、当裁判所により押収したテレビフイルムの所持品検査をしている場面に出てくる警察官と対照する必要上、福岡県警察本部を通じて顔写真の任意提出を求めていたところ全員提出した。

六、証人尋問

(一)  被害者学生

請求人らにおいて氏名を特定した被害者は、被害者名簿記載の被害者(1)ないし(7)、(11)、(13)、(14)、(16)、(25)、(41)ないし(45)の一七名にすぎなかつたが、当裁判所による調査の結果、右のほか被害者(8)ないし(10)、(21)、(12)、(15)、(17)ないし(24)、(26)ないし(40)の二八名が判明した。

右の合計四五名のうち被害者(40)ないし(45)を除く三九名について、当裁判所あるいは受命裁判官により、証人として尋問し、本件請求にかかる被害を受けたことの有無あるいはその目撃の有無について供述を求めた。右尋問に際しては、適宜検察官より送付を受けた記録中の警察官あるいは、鉄道公安職員撮影にかかる写真綴中の写真(特に拡大写真)、押収したテレビ用一六ミリフイルムの拡大写真(但し、右フイルム差押後に尋問した被害者(21)ないし(39)の一九名について)、職質部隊員の写真(但し、右写真の提供を受けた後に尋問した被害者(35)ないし(39)の五名について)を示して、各証人が写つているかどうか、知つている学生がいるかどうかをたずね、また各証人に暴行を加えたという警察官、鉄道公安職員あるいは所持品検査をしたという警察官の指示を求めた。

なお、被害者(40)は証言を拒絶し、被害者(41)ないし(43)、(45)の四名は召喚に応ぜず、被害者(44)は住居不明のため証人召喚状が送達できず、右六名については、いずれも証人尋問を行うことができなかつた。

(二)  目撃者

本件当時博多駅に居合わせた三派系全学連所属の学生のうち被害者でないもの三名、大学関係者九名、国鉄職員七名、被疑者以外の警察官二五名、被疑者以外の鉄道公安職員四名、その他一般通行人等八名について、当裁判所あるいは受命裁判官により、証人として尋問した。

(三)  その他の証人

本件における警備計画等に関して警察官一名、三派系全学連学生らが危険物を所持しているとの情報に関してタクシー運転手一名、右学生らの博多駅に至る前の行動等に関して学生(うち一名は元学生)四名について、当裁判所により証人として尋問した。

七、押収

(一)  請求人前田知克が任意提出した一六ミリフイルム一巻、写真帳(写真一五枚貼付)一冊

(二)  博多警察署長が任意提出した昭和四二年度博多警察署給与調書(五号、六号)二冊

(三)  株式会社テレビ西日本、九州朝日放送株式会社、アール・ケー・ビー毎日放送株式会社、日本放送協会福岡放送局においてそれぞれ差押えたテレビ用一六ミリフイルム各一巻(計四巻)

(四)  被疑者前田光雄が任意提出した日本国有鉄道九州支社職員名簿(昭和四三年七月一日現在、昭和四四年八月一日現在のもの各一冊)二冊

をそれぞれ押収した。

(右(三)のテレビ用一六ミリフイルムは、当裁判所が、右三社一局(以下便宜上四社という)に対し、右フイルムを含め昭和四三年一月一六日いわゆる博多駅事件について撮影したフイルム一切の提出を命じたところ、右四社は、右提出命令に対し通常抗告、特別抗告をしたが、いずれも棄却されたので、当裁判所は、再三にわたり、右四社に右提出命令に応ずるよう説得したが、これに応じなかつたので、ついにやむなく放映済みの分に限つて差押をしたものである。)

八、公私の団体等に対する各種の照会

前記五に記したほか、東京地方裁判所、大阪地方裁判所、京都地方裁判所、広島地方裁判所、長崎地方裁判所佐世保支部、東京地方検察庁、福岡地方検察庁、東京拘置所、大阪拘置所、京都拘置所、広島拘置所、中野刑務所、府中刑務所、小管刑務所、福岡県警察本部、博多警察署、東京大学、大阪大学、東北大学、広島大学、埼玉大学、東京都立大学、慶応義塾大学、早稲田大学、法政大学、東海大学、広島商科大学、日本放送協会福岡放送局、アール・ケー・ビー毎日放送株式会社、九州朝日放送株式会社、株式会社テレビ西日本、前田知克法律事務所等に各種照会をした。

第四、本件事案の経過および概要

本件全証拠によると、次の一ないし三の事実が認められる。

一、いわゆる三派系全学連中核派を中心とする学生らの動向

(一)  政府の米原子力空母エンタープライズ号(以下単にエンタープライズという)の佐世保寄港を承認する旨の発表に伴い、国内において右寄港に反対する各種運動がなされていたが、右寄港が昭和四三年一月中旬ころと予想されるに至り、当時のいわゆる三派系全学連(委員長秋山勝行)は、エンタープライズ寄港阻止闘争の拠点として、福岡市六本松所在九州大学教養部を選び、同所に同全学連所属の学生らが全国各地から結集することになつた。

(二)  同月一四日、東京都内の法政大学において、東日本学生総決起大会を開きエンタープライズ寄港に反対するため佐世保の米軍基地内において集会を開くことを決めた同全学連中核派に所属あるいは同派に同調する学生(以下単に学生らという)約二〇〇名は、翌一五日、隊列を組み手に手にプラカード(おおむね長さ約一メートルの角材を柄としたもの)を持つて、同日午前一一時三〇分東京駅発の急行「雲仙・西海」号(以下単に「雲仙・西海」という)に乗車すべく、国電飯田橋駅に向かつたが、同駅付近で警備のため待機していた警察機動隊がこれを無届けのデモ行進であるとして規制しようとしたため衝突が起こり、一三一名が兇器準備集合罪等で現行犯逮捕された(以下これを飯田橋事件という)

(三)  逮捕を免れた学生らおよび直接東京駅に向かつた学生ら約一〇〇名は、予定どおり「雲仙・西海」に乗車し、途中静岡駅(約一〇名)、大阪駅(約七〇名)、広島駅(約一二〇名)等においても仲間の学生らが乗車し、翌一六日午前六時四五分博多駅に到着したときには、学生らの人数は約三〇〇名になつていた。

なお、広島駅から乗車した学生ら約一二〇名のうち、約五〇名は短距離の乗車券のみを購入して乗車した。

(四)  学生らは、三号車を中心に乗車していたが、同車両の貫通扉に「車掌禁止」(これはすぐ鉄道公安職員によつてはがされた)あるいは「貸切車ですから乗車できません。通る方はホームを通つて下さい。」と書いた張紙をしたり、旗を垂らしたりしたので、車掌や鉄道公安職員との間にそれらの撤去をめぐつてトラブルがあつた。学生らは「右張紙(後者)は同車両が学生で一杯で席がないため、すいている車両に案内するため張つたもの、旗は報道関係者の写真撮影を防ぐためのもので、旅客が出入りする際は上にあげ、絶対他の旅客に迷惑をかけない」と主張したが、結局右張紙は学生らが自ら破り捨て、旗は岡山駅において鉄道公安職員が強制的に撤去した。

学生らは、右の点を除いては、車掌、鉄道公安職員が車両を通行するのを邪魔することもなく、一般乗客とのトラブルもなく、また車中で騒ぐこともなく平穏であつた。ただ前記旗は一旦撤去されたものの、その後まもなく、再び、垂らされていたので、小倉駅発車後鉄道公安職員が再びこれを撤去しようとしたところ、学生らは同人を締め出して内側から扉に施錠し(但し、その後まもなくはずした)車内において、大部分の者がヘルメツトをかぶり(マスクやタオルで顔を覆い、全員総立ちとなり、指揮者らしき者が何か叫ぶなど騒然となり、八幡駅発車後は、四ないし六号車も同様となり、東郷駅を通過するころ、学生らは、三、四号車を中心に集結を開始した。

(五)  学生らは、おおむねスキー用アノラツク、ジヤンパー、登山用ヤツケ、コート、ジーパン、コールテンズボン、ズツク靴、登山靴、短靴などを着用し、ナツプザツク、ボストンバツグ、ヘルメツトを所持していたが、角材は所持していなかつた。もつとも、静岡駅において学生三人が角材一七本を持ち込もうとしたが警察官に発見され放置して逃げてしまい、大阪駅において学生らがプラカード五四本、角材一一本を持ち込もうとしたが、鉄道公安職員が警告したところ、それらを置いて乗車した。

二、博多駅における警備状況

(一)  国鉄関係

1 国鉄当局は、学生らの動向を察知し、いわゆる第二次羽田事件の際、東京都内において学生らが無礼のまま改札口、集札口を集団で強行突破した事例にかんがみ、博多駅においても同様の事態が起こり、またその際駅職員とのトラブルが発生するかも知れないと判断し、博多駅警備のため、一月一三日公安室長会議を開き、右会議の結果、博多鉄道公安室長(当時)(40)前田光雄が警備責任者となり、右前田が翌一四日警備のための部隊(以下鉄道公安部隊という)の編成をするとともに、一方同月一五日門司鉄道管理局長名をもつて福岡県警察本部長(当時)(1)前田利明に対し、警備のため警察部隊の派遣を要請した。右鉄道公安部隊は、(40)前田光雄を隊長とし、三個小隊―第一小隊長(41)豊島吉昂(当時小倉第二鉄道公安室長)、第二小隊長(48)中村正則(当時博多鉄道公安室総括主任)、第三小隊長(53)西牟田新之助(当時鹿児島鉄道公安室長)―からなり、総勢一四六名であつた。

2 一月一六日午前五時三〇分ころ、列車警乗に従事する第一小隊の第三分隊を中心とする一四名、第三小隊第一、第二分隊二〇名を除き、右部隊は、博多駅地下講習室に集合し、そこで隊長(40)前田光雄から、前記一記載の学生らの動向に関する情勢の説明と警備にあたつての注意がなされた。

3 同日午前六時ごろ、右部隊は、それぞれ前田隊長の指示に従い、所定の配置場所についた。すなわち第二小隊員はいずれも制服を着用し、前田隊長とともに四番ホームに出た四名を除いて、第一分隊一〇名は北集札口内側に、第二分隊一〇名は南集札口内側に、第三分隊一〇名は南旅客通路および南集札口精算所前に、第四分隊一〇名は北旅客通路および北集札口精算所前にそれぞれ配置され、第一小隊中制服で警乗に従事した者を除く三九名は南旅客通路奥に、第三小隊第三、第四分隊二二名は北旅客通路奥にそれぞれ予備隊として、作業服を着用して待機した。なお第三小隊第一、第二分隊二〇名は制服で折尾駅から「雲仙・西海」に警乗した。

(二)  警察関係

1 一方福岡県警察本部(以下単に県警本部という)においては、昭和四二年一二月下旬から翌年一月初めにかけて、警察庁より昭和四二年一二月一七、一八日法政大学で開催された三派系全学連全国大会において情宣部長青木忠より提案された「エンタープライズ寄港阻止闘争を第三の羽田闘争にしよう」という特別提案が採択されたこと、学生らが右闘争資材として、ロープ、ハンマー、ペンチ、鉄製穴あけ棒、角材などを準備しているほか、最悪の場合には硫酸、塩酸、アンモニア、火焔びん等の危険物を使うおそれがあることなどの情報を得ていたところ、さらに昭和四三年一月一三日個人タクシー運転手が「福岡市内馬場新町から九大教養部まで乗車させた学生らしい男二名が車内で佐世保闘争では水筒にガソリンを入れて行き、警察官にぶつかけて火をつけると話していた。」旨博多警察署御供所派出所に届出たとの連絡を受け、また前記一記載の学生らの動向(但し、広島駅から約五〇名の学生が短距離の乗車券のみで乗車した旨の連絡を国鉄から受けたのは同年一月一六日になつてからであるのでこれを除く)についても国鉄および関係都府県警察本部より逐次連絡を受けていた。そこで県警本部では〈1〉いわゆる第次二羽田事件の際学生らが東京都内において集団で改札口、集札口を強行突破して無賃乗車した事例にかんがみ、博多駅においても集団で集札口を強行突破することに伴なう駅職員に対する公務執行妨害その他駅構内およびその周辺の秩序をみだすなどの違法行為が予想される〈2〉同月一五日博多警察署に九州大学学生馬場昭徳(三派系全学連所属)が一月一六日午前八時三〇分から、エンタープライズ寄港反対を目的として、三、〇〇〇人(プラカード二〇〇本)で博多駅から九州大学教養部までデモ行進する旨の道路使用許可申請を行なつたが、「雲仙・西海」の博多駅着は午前六時四五分であることから、同列車で来る学生らは、二時間くらい駅構内で集会をもち、関西以西からバスで九州大学に向かつている旨の情報を得ていた他の三派系全学連の学生らと合流して九州大学教養部までデモ行進し、その際従来しばしばあつたように道路交通法に違反するような事態(道路使用許可条件違反)が発生するおそれがある〈3〉九州大学では、他大学の学生は教養部構内に入れないという方針をとり、教職員を召集して各門などに配置しており、一方いわゆる代々木系全学連の学生は反代々木系全学連の学生の学内侵入を実力で阻止すると言つていたことから、九州大学教養部において、学生らの教職員に対する集団的公務執行妨害、建造物侵入ならびに代々木系全学連学生との乱闘などの不法事案が発生するおそれがあると判断していたが、前述のように一月一五日門司鉄道管理局長名で、県警本部長に対し警備要請があつたので、右のような不祥事態に備えて警備するとともに前述のような兇器に類する物や危険物の発見に努めそれらを使用してなされる犯罪を未然に防止するため警察部隊を博多駅に派遣することにした。

2 そこで、県警本部警備課において、一月一五日警備計画を立案し、警備部長(当時)(2)渡辺忠威、県警本部長(当時)(1)前田利明の決裁を経たが、その内容は、県警本部に警備本部、博多警察署に現地警備本部をおき、二個大隊八〇〇名からなる一般部隊、二個小隊七二名からなる職質部隊を編成し、第一大隊は博多駅南集札口・改札口、第二大隊は同北集札口・改札口の各外側、職質部隊は各一個小隊を南北両集札口外側に配置するというものであつた。

3 第一大隊の編成

右警備計画により第一大隊長となつた福岡県警察機動警ら隊長(当時)(3)福井一二三は、一月一六日午前五時ごろ、福岡市内東公園所在の警察体育館において第一大隊の編成を行なつた。右大隊は、三個中隊(第一中隊長(4)上田豊、第二中隊長(12)熊谷国夫、第三中隊長(15)田中正美、各中隊とも中隊長以下一二七名、からなり、第一中隊は三個小隊(第一小隊長(5)小田切亨、第二小隊長(6)香月敏男、第三小隊長(11)土居ノ内博、各小隊とも、伝令、隊付採証班を除き、小隊長以下三六名、以下同じ)、第二中隊は二個小隊(第二小隊長(13)大塚蔵男、第三小隊長(14)高瀬富栄。第一小隊(小隊長(22)久保山隆)は後述の職質部隊にあてたため第二中隊は変則的になつた。そこで後述の特科部隊を数の上で(指揮系統は別)第一大隊に編入した。なお右第一小隊は、その職質部隊としての任務終了後第二中隊に復帰した。)第三中隊は、三個小隊(第一小隊長(16)福井末生、第二小隊長(17)小田義人、第三小隊長(18)井上君次郎)からそれぞれなり、総勢四〇〇名であつた。

福井大隊長は、右編成終了後、隊員に対し前記一記載の学生らの動向に関する情勢の説明をしたうえ、国鉄当局からの警備要請があつたので、駅構内外における各種違法行為の予防、制止、取締、鎮圧、検挙を目的として博多駅に出動する旨告げ、警備にあたつての注意として〈1〉違法行為は絶対見逃してはならない〈2〉彼我双方にけが人を出してはならない〈3〉相手の挑発にのることなく、冷静な行動をとること〈4〉各級指揮官は部下を掌握し、部下はすすんで指揮官の掌握下にはいり、統制ある行動をすることの四点について指示した。

4 職質部隊の編成

県警本部の則松警備課長(当時)は、一月一五日の夕方博多警察署警備課長(当時)(21)須本晴義を介して電話で情勢の説明をしたうえ、職質部隊の編成を同署署長に命じたので、同署長より命を受けた同署次長(20)加藤徳右エ門は右須本をして右部隊の編成をさせた。

右部隊は、すべて博多署員をもつて編成し、右加藤を隊長、右須本を副官とする二個小隊(第一小隊長(22)久保山隆、第二小隊長(36)柿本雪人、各小隊とも小隊長以下三五名)合計七二名であつた。

右部隊は、翌一六日午前五時三〇分、博多警察署三階会議室に集合し、加藤隊長が、前記一記載の学生らの動向に関する情勢の説明をしたうえ、硫酸、塩酸等の危険物を発見するため、学生らに対して職務質問をするのが任務である旨告げ、〈1〉危険物を発見したら、刑罰法規にふれる場合は、現行犯人として逮捕して押収し、その他の場合は任意提出をさせるようにする〈2〉大きな荷物を持つている者、あるいは着衣のポケツトが非常にふくらんでいる者だけ職務質問する〈3〉三人一組でやるとの三点を指示し、さらに須本副官が、判例を一、二紹介しながら「職務質問は警察官職務執行法(以下、警職法という)二条に基づくものである。従つて相手の任意の承諾が必要だから強制的にやることはできない。ただ拒否されてもねばり強く説得するように。逃げるのを追いかけ肩に手をあてて引き止めるぐらいならしてもよい。所持品検査は相手の承諾があれば警察官が所持品を開いて見てもよい。しかしできるだけ相手に開かせるようにすること。学生か一般の人か判別できないような場合にはなるべくしないこと。」などの注意をした。

5 特科部隊の編成

一月一五日午後、福岡警察署会議室において、県警本部外事課課長補佐(当時)富安近を隊長として、博多駅等において学生らの違法行為があつた場合に、証拠の収集、被疑者の検挙などをするため特科部隊が編成された。右部隊は、特別採証班一(実害把握の採証活動、参考人の確保などが任務)、総括採証班二(検挙現場における総括的採証活動が任務)、採証検挙班一(主として違法行為の採証活動が任務だが、併せて一般部隊が現場にいないときなどにおける検挙活動も行う)の四つの班からなり、隊長以下三六名であつた。

右部隊編成後、富安隊長から〈1〉被疑者を検挙する場合には現場の責任者の指揮によつて行うこと〈2〉写真撮影は違法行為を中心に周囲の状況も合わせて十分に行うこと〈3〉参考人を十分確保しておくこと〈4〉被疑者を逮捕した場合には現場における捜索を実施して、すみやかに護送すること〈5〉被疑者の受傷事故被疑者の奪還を防止することなどの注意がなされた。

6 各部隊の配置

(イ) 第一大隊は、警察体育館を出て、一月一六日午前六時ごろ博多駅裏に行つたのち、同六時三〇分ころ、福井大隊長の指示に従い、第一中隊第一、第二小隊は南集札口の外、向かつて左側ホテルニユーハカタ前に、同第三小隊は南集札口の外、向かつて右側駅事務室前付近に、第二中隊は南集札口前広場に、第三中隊は南改札口外公安官派遣所前付近にそれぞれ配置された。

(ロ) 職質部隊は、博多警察署を出て、一月一六日午前六時過ぎごろ、博多駅構内派出所に集合したのち、同六時二〇分ころ加藤隊長の指示に従い、第一小隊は南集札口、第二小隊は北集札口のそれぞれ外、向つて右側に一旦配置され、他の警察部隊が到着してからは、それぞれ各集札口の外側正面付近に配置された。

(ハ) 第二大隊(総勢四〇〇名)は、第二中隊が北集札口外側に、第三中隊が北旅客通路奥の改札口外側にそれぞれ配置されたが、第一中隊は博多駅到着後学生らの主力が南集札口から出てくることが判明したので、急遽第一大隊を応援することになり、福井第一大隊長の指揮下にはいり同大隊長の指示に従い、南集札口の外、向かつて右側駅事務室前付近の第一大隊第一中隊第三小隊の背後に配置された。

(ニ) 特科部隊は、富安隊長の指示に従い、南集札口前広場に散在して配置された。

三、博多駅における学生らの行動とそれに対する鉄道公安部隊および警察部隊の措置

(一)  「雲仙・西海」が定刻の一月一六日午前六時四五分(以下の時刻は同午前中のことである)博多駅四番ホームに到着し、学生らは、一旦同ホームの竹下駅寄りに集合整列して、シユプレヒコールをし、リーダーが肩車に乗つて演説したのち、五、六列の隊列を組み歌をうたいながら南集札口に向かつた。一方、学生らが集札口を集団で強行突破するおそれがあると判断した第一大隊第一中隊長(4)上田豊の命令により、南集札口外側左右に正面を開いて待機していた右第一中隊は南集札口外側正面に、第二、第三小隊がやや間隔をあけて横隊に、第一小隊がその後に横隊にそれぞれ並んで、南集札口をふさぐような隊形をとつてこれに備えた。

(二)  学生らは、右警察部隊の姿を見ると、南旅客通路の集札口に至る階段(一四段、高さ二・三二メートル、傾斜角度約二六度、中央にスチール製の手すりがあり片幅四・五メートル)の手前で立ち止まり「機動隊は道をあけろ。」「エンプラ反対。」などとシユプレヒコールをし、リーダーがかわるがわる肩車に乗つてアジ演説を始めた。

上田中隊長は、学生らが立ち止まつたので、一応強行突破の差し迫つた危険はなくなつたと判断して、前記隊列を開いた。

(三)  駅側は、学生らに対し、構内放送あるいは携帯マイクで運賃の精算を呼びかけるとともに、再三にわたりすみやかに南旅客通路から退去するよう勧告したところ、学生らは、運賃の精算には応じたが、退去勧告に対しては「機動隊が前をふさいでいるから出られない。まず機動隊をどけてくれ。」などと言つてこれに応ぜず、右通路に滞留してシユプレヒコール、演説を続け、さらに駅長野中定次、鉄道公安部隊長(博多鉄道公安室長)(40)前田光雄が、それぞれの名義の退去警告文を作成して、それらを部下に掲げさせ、自らは携帯マイクで退去を要求したが、学生らはこれに応じないのみか、右各警告文を破り足で踏みつけてしまつた。

(四)  学生らは、再三にわたる駅側の退去要求に応ぜず、しだいに通路の幅約四分の三くらいにひろがり、その周囲には報道関係者等がつめかけ、一般旅客の通行が困難になつたので、鉄道公安部隊長(40)前田光雄は、博多駅が七時三〇分ころからいわゆるラツシユアワーになるので、このままの状態が続けば、混乱が生ずると判断して、七時三〇分になつたら鉄道公安部隊によつて学生らを背後から押して排除しようと決意し、七時二〇分ころ南北旅客通路奥に待機していた第一小隊および第三小隊第三、第四分隊を主力とする一〇一名を学生らの後方二メートルのところに三列横隊に配置したうえ、かねて七時七分ころ、南集札口外で警察部隊第一大隊長(3)福井一二三に「実力行使をする際にはよろしくお願いする。」旨事前の出動要請をしていたが、あらためて同二五分ころ、南改札口外に待機していた警察部隊第一大隊第三中隊長田中正美に対し「これから実力行使をするが、反対に押し返されるような状態になつたら応援を頼む。」旨連絡し、同三〇分ころ、第一小隊長(41)豊島吉昂の指揮により、右鉄道公安部隊をして学生ら集団の背後から両手をいわゆる逆八字形にしてじわじわ押させて排除を開始したところ、学生ら集団の後方に女子学生約二〇名くらいがいたので、一旦排除を中止して女子学生を危険防止のため分離したのち、さらに同様の方法で排除行為を継続したが、学生らは容易には動かず、かえつて押し返されるような状態であつた。そこで右第一小隊長(41)豊島吉昂は前方から誘導して排除すべく第一小隊第五分隊をして通路の集札口に向かつて左側から前進せしめたところ、急に学生らが、スクラムを組んで右まわりに方向転換してワツシヨイワツシヨイとかけ声をかけながら鉄道公安部隊を押し返し始めたため、右第五分隊の先頭部分の二、三名が学生らの集団の中に巻き込まれたような形になつた。

(五)  一方、警察部隊の福井第一大隊長は、七時過ぎごろ前田鉄道公安部隊長から事前の出動要請を受けると、第一大隊第一中隊長(4)上田豊を呼び、学生らを排除する際の部隊の配置について指示し、上田中隊長はそれを各小隊長に伝えた。その後さらに田中第三中隊長より前田鉄道公安部隊長から前記出動要請があつた旨の連絡を受けた福井第一大隊長は、南改札口に赴き、田中第三中隊長に命じて、同部隊を南改札口から南旅客通路に入れ、学生らの逆流を阻止するため鉄道公安部隊の背後に配置させていたところ、前記(四)の事態が発生したので、鉄道公安職員の救出と学生らの不退去状態の解消のため、七時三五分ころ、上田第一中隊長に同中隊の出動を命じた。

右第一中隊は、階段を駆け上がり、予め中隊長より指示されたように、第三小隊は南旅客通路奥の学生らの背後に、第一小隊は同通路奥に向かつて右側の学生らの側面に、第二小隊は同通路から階段の途中にかけて斜めに学生らの前面にそれぞれ位置して、学生らを取り囲み、まず学生らをホテルニユーハカタ側の壁の方向に圧縮して規制するとともに前記鉄道公安職員を救出し、学生らの動きが静まつたところで一旦隊列を整えた(このとき学生らのうち約六〇名が、第三小隊の囲みを破つて一番ホームに駆け上がつた)が、右圧縮と並行して、さらにはその終了後、前面(集札口側)から主として第二小隊が学生らを階段下に排除した。

各隊員は、学生らを一人ずつその集団から引き出して、さらに階段の直前から階段の途中にかけて両側に並んで人垣を作り、その間を学生らの腕や腰をつかんで次々に順送りにして階段の下に排除したが、学生らの中には自発的に階段を降りる者もかなりあり、とくに排除の終りごろには多数の学生が一団となつてなだれ落ちるようにして階段を降りて行つた。

(六)  南旅客通路上から階段下に排除された学生らのうち約四〇名は、南集札口内側のホテルニユーハカタ寄りの隅に滞留したが、これは集札口付近に待機していた鉄道公安部隊の第二小隊員が集札口外に出した。

(七)  学生らが南集札口外に出たところ、第一大隊の応援に来ていた第二大隊第一中隊が集札口前に人垣をつくつてその中を学生らを通すいわゆる検問態勢をとり、さらに職質部隊の第一小隊(久保山小隊)員がおおむね三人一組になつて右人垣を通つて駅前広場付近に出てきた学生らのうちバツグ等荷物を持つたりあるいは着衣のポケツトがふくらんでいる者について所持品検査をした。

(八)  学生らは駅前広場で出迎えの学生らと共に集会をした後、九州大学教養部に向けて平穏にデモ行進をした。本件請求にかかる特別公務員暴行陵虐の被疑事実は、右三、(四)ないし(六)の段階における警察部隊および鉄道公安部隊の学生らに対する南旅客通路における圧縮ならびに南集札口外への排除行為に関するものであり、公務員職権濫用の被疑事実は、右三、(七)の段階における警察部隊の南集札口外へ排除された学生らに対する所持品検査に関するものである。

なお、職権濫用の被疑事実のうち、学生らに対する顔写真の撮影については、これを認める証拠はない。

第五、特別公務員暴行陵虐の被疑事実(圧縮、排除行為)について

一、学生らに対する実力行使の適法性について

(一)  学生らが南旅客通路上に滞留したため、鉄道公安部隊が学生ら集団を後方から押し、ついで警察部隊が学生らを圧縮、排除したことは前に述べたとおりである。

そこで、まず、これらの実力行使じたいが適法であつたかどうかについて判断する。

(二)  被疑者らの主張する実力行使の根拠

1 鉄道公安部隊について

鉄道公安部隊に実力行使を命じた同部隊長(40)前田光雄は、右実力行使の根拠として〈1〉本件学生らは、南旅客通路に滞留して演説、集会をし、かつ駅側の度重なる退去勧告にも応じなかつたのであるから、鉄道営業法三五条、三七条に違反する者として、同法四二条一項三号により排除しようとした。鉄道公安職員は、鉄道施設内における犯罪の捜査につき司法警察職員の職務を行なう権限があるところ、本件学生らについて現に不退去罪が成立しているので現行犯人として逮捕できるが、逮捕までに至らない犯罪の制止も当然なし得るので、右制止行為として排除しようとした旨主張している。(同人の被疑者調書、検察官より送付を受けた記録中の同人作成の反日共系三派全学連に対する排除行動の実施についてと題する書面)

鉄道公安職員は、鉄道施設内における犯罪の捜査につき司法警察職員の職務を行なう権限があるけれども、鉄道公安職員には警職法が準用されないので、警察部隊の排除行為の根拠に関して後述するように、不退去罪の現行犯に対する制止行為としての排除はできないものと解する。

しかしながら、鉄道公安職員は、鉄道公安職員の職務に関する法律一条、鉄道公安職員基本規程二条ないし四条により、鉄道係員として、鉄道営業法四二条一項三号により、同法三五条、三七条に該当する者を鉄道地外に退去させることができるのであるから本件において、鉄道公安部隊の実力行使の適否を判断するためには、まず学生らに対する鉄道営業法違反の成否を検討しなければならない。

2 警察部隊について

警察部隊に実力行使を命じた同部隊第一大隊長(3)福井一二三は、右実力行使の根拠として〈1〉鉄道公安職員が学生らのうず巻きデモに巻き込まれて、その生命、身体に危険が及び急を要する場合であつたので、警職法五条による制止として圧縮排除した〈2〉学生らが現に不退去罪を犯しているので、現行犯である右不退去罪の制止、鎮圧として圧縮排除した旨主張している。(同人の第一回被疑者調書)

なるほど、警職法五条によると、警察官は犯罪がまさに行われようとするのを認めたときは、その行為により人の生命若しくは身体に危険が及び急を要する場合においては制止行為をなし得るところ、本件において、鉄道公安部隊が南旅客通路に滞留した学生らを後方から押して排除しようとしたが、学生らが容易に動かなかつたので、第一小隊第五分隊が前方から誘導して排除するため前進したところ、急に学生らが右まわりに方向転換しはじめたため、右第五分隊の先頭部分の二、三名が学生らの集団の中に巻き込まれたような形になつたことは前記第四、三、(四)で認定したとおりであるが、学生らの証人調書によれば、学生らが右まわりに方向転換をはじめたのは、集札口の方に押し出されるのではないかと考えたためであつて、うず巻きデモをするためではなかつたこと、したがつてことさら鉄道公安職員を学生らの集団の中に巻き込んだのではないことが認められるので、果して鉄道公安職員の生命、身体に危険が及び急を要する場合であつたかどうかは疑問であるのみならず、鉄道公安職員の救出のためのみであれば、学生らの動きを圧縮規制し鉄道公安職員を救出した段階でその目的を達したのであるから、さらに階段下に排除することまでできるとは解されない。そうすると鉄道公安職員の救出を警察部隊の実力行使の根拠とすることはできないものといわなければならない。

しかしながら、警職法五条は、未だ犯罪が行われていない場合であるから、犯罪予防の名の下に、いたずらに実力行使が濫用され、不当に人権が侵害されることのないように、要件や手段について制限しているものと解されるところ、犯罪が現に行われ違法状態が継続している以上、これを鎮圧すべきは警察官の当然の責務であるから、犯罪の性質、態様、四囲の状況から現行犯として逮捕するまでの必要がない場合であつても、急を要する場合には、犯罪の予防につき規定された同法五条の制止行為程度の即時強制手段をとることは許容されるべきで、その場合には、同条に規定された「人の生命若しくは身体に危険が及び、または財産に重大な損害を受ける虞がある」という要件は必要でないものと解する。

そうすると、本件において、警察部隊の実力行使の適否を判断するためには、まず学生らに対する不退去罪の成否を検討しなければならない。

(三)  鉄道営業法違反の成否および鉄道公安部隊の実力行使の適法性

鉄道公安職員が、鉄道係員として、鉄道営業法四二条一項三号により、同法三五条、三七条に該当する者を鉄道地外に退去させることができることは前記説示のとおりであり、学生らが南旅客通路に滞留して演説等をしていたことは前記第四、三、(三)で認定したとおりであるから、鉄道公安部隊が学生らを同法三五条に該当する者として同法四二条一項三号により退去を求めたことは、後記認定のように南集札口が当時学生らの主観においてはともかく、客観的にみて出ようと思えばいつでも出られる状態にあつたこと、したがつて鉄道公安部隊としては学生らを集札口外に排除できると判断したのはやむを得なかつた事情を考慮すると、ラツシユ時の混乱を避けるためにとつた措置として相当であり、鉄道公安部隊において学生らを後方から押して退去させようとしたことは適法な職務行為というべきである。

もつとも、鉄道公安職員の性格、鉄道営業法の趣旨にかんがみれば、鉄道公安職員が鉄道営業法に違反する者を退去させる場合に用いることのできる有形力にはおのずから限度があるのであつて、まず口頭で退去を要求し、これに応じないときに、はじめてたとえば軽く押すなどして相手方を翻意せしめてその任意の退去を促す程度の必要最小限度の有形力を用いることができるだけで、正当防衛、緊急避難などにあたる場合は別として、手足や身体をとらえて引きずり出すなど強度の有形力を用いることはできないものと解するのが相当である。

本件についてこれを見るに、鉄道公安部隊の第一小隊および第三小隊第三、四分隊を主力とする一〇一名が三列横隊に整列し、学生ら集団の背後から両手を逆八字形にしてじわじわ押したところ、学生らはほとんど動かずかえつて押し返されるような状態であつたことは前記第四、三、(四)で認定したとおりであり、その際鉄道公安部隊としては自分らだけで学生らを退去させることは困難であつて学生らが自ら退去するように仕向けるほかないと考え、そのような気持で押したこと、その直後警察部隊によつて圧縮規制が開始されるや前田鉄道公安部隊長は直ちに鉄道公安部隊を後方に下げて爾後の措置を警察部隊に一任したことが(40)前田光雄、(55)窪田鉄男の各被疑者調書によつてうかがわれるので、鉄道公安部隊のとつた右実力行使の態様、程度は、前記基準に照らし、多少問題がないわけではないが、ラツシユ時の混乱をさけるために多数の集団を早急に退去させなければならなかつたという当時の事情を考慮すると、直ちに違法とまで断定することはできない。

なお鉄道公安部隊が学生らを排除しようとしたことが適法な職務行為として許されるとしても、その過程において、本件請求にかかる被疑事実のような暴行があれば、特別公務員暴行陵虐罪の成否(鉄道公安職員が鉄道施設内における犯罪の捜査につき司法警察職員の職務を行うにあたり、暴行陵虐の行為をなした場合は格別、単に鉄道営業法に違反する者を同法により退去させるにあたり、暴行陵虐の行為をなしても、このような鉄道公安職員は同罪の主体たり得ないので、同罪は成立しないが、本件は警察部隊との共謀―共謀があつたかどうかは後に認定する―によるものとされているのであるから、右のような鉄道公安職員についても同罪の成立する余地がある)が問題となるが、鉄道公安部隊については、本件請求にかかる被疑事実のような暴行がなされたことを認めるに足りる証拠はない。

また南旅客通路から階段下に警察部隊によつて排除された学生らのうち約四〇名が南集札口内側のホテルニユーハカタ寄りの隅に滞留したので、集札口付近に待機していた鉄道公安部隊の第二小隊員が、これを集札口外に出したことは前記第四、三、(六)で認定したとおりであるが、その過程においても、鉄道公安職員が学生らに対し本件請求にかかる被疑事実のような暴行を加えたと認めるに足りる証拠はない。

(四)  不退去罪の成否および警察部隊の実力行使の適法性

1 学生らが駅側の度重なる退去要求に応ぜず、南旅客通路上に滞留を続けたことは、前記第四、三、(三)で認定したとおりであるが、請求人らは「学生らは、警察部隊が南集札口を閉鎖し、さらに学生らの背後に鉄道公安部隊が配置され、進退を制約されたため、これに抗議し、閉鎖の解除を求めて待機していたが、警察部隊はこれに応じなかつたので、滞留を余儀なくされた。」旨主張する。

警察部隊の第一大隊第一中隊が、学生らが南旅客通路上に現われた時点で、集札口の強行突破に備えて集札口外に横隊になり、一時集札口をふさぐ隊形をとつたことは前記第四、三、(一)で認定したとおりであるが、前に述べたような学生らの動向、かつての東京都内における駅の強行突破の事例、博多駅到着後の学生らの行動にかんがみれば、結果的にみて、強行突破のおそれがあるとの判断が正しかつたか、また果してそのような性急な行動に出る必要があつたか(そのことが学生らを刺激したことは後述のとおりである)という疑問はあるにしても、あながち不当であつたということはできない。

それでは、学生らが一旦通路に立ち止まり、駅側の呼びかけに応じて運賃の精算をした後はどうであろうか。

警察側は「学生らが階段の上で立ち止まつて集会を開始したので、強行突破の差し迫つたおそれは一応なくなつたと判断してもとの態勢(すなわち第一大隊第一中隊が待機していたホテルニユーハカタの角、観光案内所の角からそれぞれ外側で学生らの見えない位置)に戻つた。集札口外に横隊になつて集札口をふさいだのは一、二分程度であつた。」と主張し、右第一中隊所属の被疑者らは、いずれも右主張にそう供述をしている。

他方、学生らの中には「機動隊は全くのかなかつた。」「少し動いたような気がする。」「人が一人二人通れるくらいの通路をあけた」などと供述している者がいるが、それらの供述はまちまちでありまた必ずしも明確でない。目撃者のこの点に関する供述もまちまちである。ところで、検察官より送付を受けた記録中の〈1〉巡査部長二宮昭雄撮影にかかる現場写真番号8ないし16の九葉には、一月一六日午前七時二分ころから同七時三七分ころまで(各写真に付された説明による。以下同じ)の、〈2〉同田中大司撮影にかかる現場写真番号8、10ないし14の六葉には、同日午前六時五二分ころから同七時二二分ころまでの、〈3〉鉄道公安職員鶴原初亀撮影にかかる現場写真番号16の一葉には、同日午前七時二五分ころから同三〇分ころまでの、〈4〉同坂口一志撮影にかかる現場写真番号7、24の二葉(但し、前綴の分)には、同日午前七時ごろおよび同二九分ころのそれぞれ南集札口外における警察部隊の配置状況が写されている。

右〈1〉、〈2〉の各写真によれば、一見警察部隊は学生らが通路に現われてから排除が始まるまで終始集札口外をほとんどふさいでいたように見えるが、撮影角度、撮影距離によつては実際とはかなり異なつた印象を与える写真の特殊性を考慮し(なお右二宮昭雄の証人調書によれば、同人は右番号8の写真を南集札口外ホテルニユーハカタの角から、右番号9ないし16の各写真を南集札口外観光案内所の角から写したこと、右田中大司の証人調書によれば、同人は右各写真をいずれも南集札口外ホテルニユーハカタの角よりやや内側駅前広場寄りから写したことがそれぞれ認められる)、右〈3〉、〈4〉の各写真(これらは各写真に付された説明によれば、いずれも南集札口内の階段の途中あるいは通路上からほぼ真直ぐに集札口外側を写したものであることが認められる)とも対照すれば必ずしもそのような状況であつたとは認められず、むしろ右〈3〉、〈4〉の各写真および検察官より送付を受けた記録中の検察官作成の実況見分調書によれば、おそくとも午前七時ごろまでには警察部隊はかなり左右に開いていたこと、詳述すれば、午前七時ころから警察部隊による排除が始まるまでの南集札口付近の警察部隊の配置状況としては、五ヶ所ある出口のうち、少くとも中央の三ヶ所は完全に開いており、集札口のすぐ外側には制服を着用した鉄道公安職員が完全に開いた右出口の両側に、左右に別れてそれぞれ約一〇人くらいずつ集札口に向かつて待機し、さらにそれに接続してその後方に警察部隊が左右に別れてそれぞれホテルニユーハカタの角、観光案内所の角から右各建物にそつて集札口の近くまで入り込んだ隊形で待機しており、右隊形は外に行くに従つて、次第にせばまつているが、最もせばまつたところでも、約五メートルはあいていたことが認められる。

なお、鉄道公安部隊が、学生らの背後に接近したのは前記第四、三、(四)で認定したように、前田鉄道公安部隊長が学生らの排除を決意したのちの午前七時二〇分ころのことである。

してみると、請求人らの前記主張のうち、「鉄道公安部隊が学生らの背後にあつて進退を制約し、警察部隊が集札口を閉鎖したままであつた。」という点および警察側の「一、二分でもとの態勢に戻つた」との主張は、いずれも事実に反することになる。

そこで、右に認定した状況を前提として考えてみるに、学生らが南集札口を通つて駅舎外に出ることは、客観的には十分可能な状態であつたといわざるを得ない。

2 しかしながら、被害者らの各証人調書、各検察官調書、各人権調査書、各刑事事件証人調書および被告人調書、青木忠、谷翰一の各証人調書、請求人福岡清提出の飯田橋事件告発書(写)、東京地方裁判所から取り寄せた飯田橋事件の起訴状謄本(二通)によれば、学生らは本件の前日「雲仙・西海」に乗車すべく法政大学を出て国電飯田橋駅に向かう途中、同駅付近で待機していた警察機動隊と衝突して兇器準備集合罪ないし公務執行妨害罪の現行犯として一三一名もの多数の仲間が逮捕され、さらに逮捕を免れて国電市ヶ谷駅方面に逃げた学生らは同所付近に待機していた機動隊員によつて所持品検査をされた(東京駅以外から乗車した学生らもそのことは車中で仲間の学生から聞いたり報道を通じて知つていた)うえ、途中広島駅においても、同駅から乗車しようとした学生らが警察機動隊あるいは鉄道公安職員に所持品検査をされたり、乗車の際ホームに整列させられたりするなどの種々の厳しい規制を受けたこともあつて、警察は自分らが佐世保に行くのを妨害すべく弾圧を加えていると感じていたが、博多駅に到着し、隊列を組んで南旅客通路上の階段付近まで来たところ、集札口外側に横隊に並んで集札口を閉鎖している警察部隊の姿を認めたので、集札口を出れば何らかの理由をつけて逮捕されるのではないかあるいは理由なく所持品検査をされるのではないかなどと考え、リーダーが事態の説明をするとともに「このような弾圧は許せない。」などとアジ演説をし、他の学生らもこれにあわせて「機動隊は道をあけろ。」「機動隊は帰れ」などとシユプレヒコールをして抗議し、駅側の退去要求に対しては「まず機動隊をどけてくれ」と言つてこれに応じなかつたことが認められる。

ところで、警察部隊は一旦集札口をふさいだのちまもなく集札口外を相当広くあけたことは前記認定のとおりであるが、学生らにしてみれば、もともと強行突破はもとより博多駅構内で殊更混乱を起こすことは考えていなかつたし、警察側が予想したような角材、硫酸、塩酸などの兇器に類するものあるいは危険物など一切所持していなかつた(このことは前記証拠によつて認められる)のであるから、警察側の厳しい警戒ぶりにとまどいをおぼえるとともに、これをエンタープライズ寄港阻止闘争に対する弾圧と感じたことは、学生らの心情として十分理解できるのであつて、警察部隊がなるほど客観的には学生らの通行可能な程度に集札口外をあけたとしても、なお多数の警察官をもつて集札口の外側をかためて、いつでも学生らの通行を阻止できる態勢でいる以上(警察部隊が集札口外側をあけて待機していた状況は、前記認定のとおりであるが、前記〈3〉、〈4〉の各写真および野中定次、近藤佐賀夫の各証人調書によれば、集札口の近くにはかなり空間があるものの、外に行くに従つて次第にせばまつた警察部隊の間に報道陣、出迎えの学生、野次馬がおり、さらにその外側の駅前広場には他の警察部隊が多数待機していて、学生らからすると、一見して、駅舎外にはスムースには出られないと判断しても無理からぬ状況であつたことがうかがわれる)、学生らが、飯田橋事件で多数の仲間が逮捕された事例や広島駅での厳しい規制と関連させてこれを学生らの運動に対する一連の弾圧と理解し、とくに学生らが集札口前に出てきた際には一時的にせよ集札口を警察側が完全にふさぐ態勢をとつたことから、このまま集札口を出れば何らかの理由をつけて逮捕されるのではないかあるいは理由なく所持品検査をされるのではないかなどと危惧してあくまで警察部隊に道をあけること(田中欽弥の証人調書によれば、これは単に警察部隊に集札口外をあけることを要求しているものではなく、駅舎外まで立ち去ることを要求しているものであることが認められる)を要求して退去を拒んだ学生らの心情を一応理解できないではない。

3  一方、警察側からみれば、前述したように、警察部隊は一旦集札口外を閉鎖したが、強行突破の差し迫つたおそれは一応なくなつたとの判断のもとに、間もなく学生らが十分通行できるだけの空間をあけて隊列を開いたのであつて、学生らの一部が運賃の精算をしたものの、乗越しあるいは急行券を持たない者がすべて精算したかどうかは当時としては知り得べくもなく(当時情報により予想された乗越しあるいは急行券を持たない者の人数と現実に精算した件数とを対照すれば、そのことはわかるはずであるが、精算係が精算の結果を集計したうえ、駅長なりに報告するにはおのずから時間がかかることでもあり、警察側が精算の結果について報告を受けていたと認めるべき証拠はない)、したがつて、学生らの強行突破の危険性は現実には全くなかつたのであるが、警察側がそれを認識していたとか当然認識すべきであつたということはできないし、また学生らが駅側の再三の要求にもかかわらず通路上に滞留を続けていることから、将来学生らと駅員とのトラブルなどが生じるおそれがあり、その場合の臨機の措置をとる必要があることも予想されたので、警察部隊が駅舎外に立ち去らず、前記の警戒態勢のまま待機していたことは相当である。

しかも、学生らが一般の旅客と同様に静かに集札口を出るのであれば、何ら理由もないのに警察部隊が学生らを逮捕することは通常考えられず(学生らの中には、飯田橋事件に関係したものが逮捕されることをおそれていたと供述している者もあるが、そのようなことは警察部隊の出動目的にはなかつたことは前記第四、二、(二)、1で認定したとおりである)、また右警戒態勢をとつていた警察部隊は学生らが危険物を所持していなかつたことは当時としてはわからなかつたのであるから、学生らが理由なく所持品検査をされることを危惧して退去を拒んでいるということは、警察側として知り得べくもなかつたことである。

4  以上の次第であるから、なるほど、学生側からみれば、前述のような集札口の状況のもとにおいては、不当に逮捕され、あるいは理由なく所持品検査を受けるのではないかとおそれ集札口から出られないと判断してそのまま旅客通路に滞留したことも無理からぬ点があり、果して右学生らに対し不退去罪としての責任を問いうるかどうか疑問であるが、しかし、警察側からみれば、当初警察部隊が南集札口前を完全にふさぐような隊形をとつた時点は別として、その後警察部隊がその隊形を解き、駅側から退去要求がなされた以後の時点では、前述のように客観的にみて右集札口は学生らが出ようと思えばいつでも出られるような状態であつたし、学生らによる集札口の強行突破の可能性も完全に払拭されておらず、また学生らと駅員とのトラブルが予想されるなどの事情からすれば、警察部隊がこれに備えるため、集札口外に前述のような警戒態勢をとつて待機していたことは相当であり、また警察側としては、前記第四、二、(二)で認定したように、学生らがおそれたような不当な逮捕あるいは理由のない所持品検査を企図していなかつたのであるから、そのような状況のもとにおいて警察側が駅側からの退去要求にもかかわらず、学生らが旅客通路に依然滞留していたことをもつて刑法上の不退去罪が成立すると判断し、したがつてこれを排除することが許されると判断したことも相当である。もつとも、当時学生らが集札口を出なかつたのは前述のような事情から不当な逮捕あるいは理由のない所持品検査をおそれたことによるものであつたこと、学生らは運賃の精算をすませ、集札口を強行突破する意思はなかつたこと、兇器その他の危険物はまつたく所持していなかつたことなどの諸事情が認められるが、これらはいずれも警察側において当時とうてい知り得なかつた事情であり、そもそも警察官の職務の適法性を判断する場合は、その職務行為の当時に明らかになつていた具体的な事情を前提として客観的に判断すれば足り、その場合、その警察官が公務員としての十分な注意義務を尽してもなお知り得なかつた右のような事情までをも前提にすべきではないと解すべきである。したがつて警察側が右のような判断のもとに学生らを集札口外に排除しようとしたことじたいは(その方法が行き過ぎであつたかどうかは別として)違法であるということはできない。

5  しかしながら、警察官による実力行使が許される場合であつても、その対象となる犯罪あるいは事態の規模、態様、現場の状況、相手方の対応の仕方、犯罪の制止、鎮圧あるいは事態の収拾の緊急の度合等諸般の事情を考慮して、必要最小限度の有形力を用いるべきであつて、その限度を越えた実力を行使したりあるいは実力行使には不必要な暴行陵虐の行為があれば、そのような行為をした警察官に特別公務員暴行陵虐罪が成立するのはもとよりである。

とくに、本件において問題になるのは、階段上から階段下へ学生らを移送排除する際に用いることのできる警察官の実力行使の限度であるが、前記第四、三、(二)で認定したように、右階段は高さ二・三二メートル、傾斜角度約二六度、一四段の危険な急階段であるから、ラツシユ時の混乱をさけるためすみやかに排除することが必要であるとしても一瞬の猶予も許さない状態であつたとまではいえないので、階段の途中で転倒するようなことはもとより、転倒しそうになつたりあるいは数段またいで飛び降りなければならないように強く押したり引つ張つたりすることは、当時学生らのうちには自発的に階段を降りる者もかなりあり、抵抗する者はそれ程多くなくしかもそれほど激しくはなかつた事情を考慮すると、許された実力行使の限度をこえるものといわなければならない。

そこで、つぎに、右の基準に基づいて、圧縮排除の過程における警察官による暴行の存否について検討することとする。

二、圧縮、排除の過程における警察官による暴行の存否について

<(一)ないし(四)略>

(五) 右(二)ないし(四)の各証拠(とくに措信しないとして排斥したものを除く)を総合すると、前記第四、三、(五)において述べた一連の実力行使の過程において、次のような暴行の事実が認められる。

1  少くとも被害者(6)、(8)、(10)、(12)ないし(15)、(17)ないし(20)、(35)、(38)、(40)、(41)、(44)、(45)の一七名が、圧縮されあるいは集団から引き出される際((10)については公務執行妨害罪の現行犯人として逮捕される際)、警察官により足や膝で蹴られ、投げ飛ばされ、髪の毛をつかんで引きずりまわされあるいは手でなぐられるなどの暴行を受けた。

2  さらに、少くとも被害者(4)ないし(7)、(9)、(16)、(26)、(27)、(34)、(37)、(38)、(39)、(41)、(42)の一四名が、通路から階段下に排除される際、階段の直前から途中において、警察官により足をかけられあるいは足で蹴られ、または突き飛ばされたり投げ飛ばされたりあるいは髪の毛をつかまれて引きずり降ろされるなどの暴行を受けて、階段を転倒しまたは転倒しそうになつて降りた。

なお、階段下において警察官が学生らに対し、本件請求にかかる被疑事実のような暴行を加えたと認めるに足りる証拠はない。

(六)  そうすると、右二八名の学生らに対し右の暴行を加えた警察官について特別公務員暴行陵虐罪が成立するが、右被害者らはいずれも暴行を加えた警察官については全く記憶がない旨供述しており、目撃者からもこの点に関する供述を得られず、押収したテレビフイルムからも確認することができず、結局、裁判所として審理を尽しても、右各被害者らに対応する個々の加害者を確認することができなかつた。

第六、公務員職権濫用の被疑事実(所持品検査)について

一、本件職務質問の適法性について

(一)  県警本部が、当時得ていた情報等に基づき、「雲仙・西海」で西下する学生らが、角材、硫酸、塩酸、アンモニア、火焔びん等の兇器に類する物あるいは危険物を所持していて、それらを使用して何らかの犯罪を犯すおそれがあると判断して、職質部隊を編成し、それらの物の発見に努め、犯罪を防止しようとしたことは前記第四、二、(二)1および4において認定したとおりである。もつとも、職質部隊が一月一六日早朝博多警察署で編成された時点では、人権擁護記録中の則松博道作成の陳述書添付の「三派系全学連の行動情報一覧表」および「一月一六日博多着下り「雲仙・西海」に乗車していた学生の動向一覧表(国鉄からの連絡)」によれば、すでに国鉄および関係府県警察本部(警察庁を通じて)から「雲仙・西海」の車中あるいは各駅における学生らの動向についての連絡を受けていたところ、東京駅から乗車した学生らの状況についての国鉄からの連絡では角材については何らふれておらず(その連絡内容からして車内を巡回した結果によるものと思われ、現にその時点では車掌あるいは鉄道公安職員が車内の巡回を拒まれた事実はないことは前記第四、一、(四)において述べたとおりである)、かえつて静岡駅、大阪駅において学生らが角材を持ち込もうとして拒まれた旨の連絡があつたことが認められるので、県警本部としては、学生らが角材を所持していると考える合理的な根拠はなくなつており、また、おそくとも学生らが博多駅に下車した段階では角材を所持していないことは明らかになつたはず(前記第四、一、(五)参照)であるから、以下の考察にあたつては角材についてはふれない。

ところで、県警本部は、学生らが硫酸、塩酸等の危険物を使用していかなる犯罪を犯すおそれがあると判断していたかというに、(20)加藤徳右エ門、(21)須本晴義、(22)久保山隆の各被疑者調書によれば、同人らは「学生らがそれらの物を〈1〉博多駅で駅職員とトラブルのあつた際、〈2〉九州大学教養部へ向かう途中ジグザグデモなどをして警察官がこれを規制しようとした際、〈3〉九州大学教養部において学生らの入構を阻止しようとする大学職員との間のトラブルの際、〈4〉同所において代々木系学生との衝突の際、それぞれ使用するおそれがあると思つていた。」旨供述しているが、右に〈1〉ついては、本件職務質問は学生が集札口を出た後に行われるのであるから、将来行われるおそれのある犯罪としては問題とならず、〈2〉ないし〈4〉についても、当時そのようなおそれがあつたと合理的に判断できるような事情があつたかどうかは疑問であり、むしろ当時県警本部が得ていた情報の内容(前記第四、二、(二)1参照)などからして、右硫酸等の危険物は、佐世保におけるエンタープライズ寄港阻止闘争の際に警察部隊と衝突した場合に使用されることを予想していたものと認めるべきである。

ところで、将来学生らが佐世保においていかなる行動をとるかは予断を許さないとしても、少くとも博多駅における時点では、右危険物を使用した犯罪が行われる差し迫つた危険があつたと判断できるような事情は認められない(集札口の強行突破に伴なう駅職員とのトラブル云々は集札口外における職務質問とは無関係であることは前述のとおりである)のであるから、果してこの時点で前記のような理由で学生らに対して職務質問できるかどうか疑問がないわけではない。

しかし、警職法二条一項は、職務質問の条件として、「差し迫つた危険性」は掲げていないのであるから、「合理的に判断」して何らかの犯罪を犯そうとしていると疑うに足りる「相当な理由」さえあれば、職務質問をすることじたいを禁ずべき理由はない。もつとも本件のように専ら将来行われるかもしれない犯罪の予防という観点からの職務質問は犯罪の予防の名のもとに、いたずらに人権を侵害することのないよう職務質問の要件の存否の判断、職務質問の方法について、とくに慎重であらねばならないことはいうまでもない。

(二)  検察官より送付を受けた記録中の則松博道作成の「関係書面の提出について」と題する書面添付の「反代々木系全学連による主要不法事案一覧表」および人権擁護記録中の前記「三派系全学連の行動情報一覧表」によれば、当時としては未だ学生らが現実に硫酸、塩酸はもちろんのこと、いわんや火焔びんなどを使用したという事実はなかつた(もつとも、いわゆる第一次羽田事件においてはガソリンを警備車にかけて放火したということはあつたようであるが、それとても学生がわざわざガソリンを持つていつたものかどうかはつきりしない)ことが認められ、検察官より送付を受けた記録中の「職務質問の状況」と題する書面によれば、結果的に本件職務質問および所持品検査によつては、県警本部が予想したような危険物はまつたく発見されなかつたところからみて、前記の硫酸、塩酸等の危険物に関する情報が果して信用すべきものであつたか疑問であり、また飯田橋事件において前述のとおり約二〇〇名中一三一名という大半の学生が逮捕され、したがつてその際所持品は当然検査されているはずであり、その中に右のような危険物が発見されれば当然県警本部にその旨の連絡があるはずであつたにもかかわらず、そのような連絡はまつたくなかつたこと(当時の県警本部公安第一課長斉藤明範の証人調書)からみて、少くとも右逮捕を免れて東京駅から「雲仙・西海」に乗車した学生らが右のような危険物を所持していなかつたことは容易に推測されることなどからすれば、県警本部が学生らにおいて危険物を所持しているおそれがあると判断したことが果して相当かどうか問題であるが、他方、右情報が上級機関である警察庁から連絡をうけたものであり、警察庁がいかなる方法でその情報を得たかは明らかではないが、県警本部から提出された昭和四三年一月一八日付朝日新聞のエンタープライズ佐世保寄港時の記事の写および司法警察員森祝夫作成の実況見分調書の抄本(添付の写真を含む)によれば、学生らは佐世保において硫酸、塩酸等こそ使用しなかつたが、前記第四、二、(二)1記載の情報であげられた物品のうち、ハンマー、ロープを現実に使用していることが認められるので、右情報がまつたく信頼性がなかつたということもできず、また、県警本部としても独自に個人タクシー運転手から学生が佐世保における警察官との衝突の際ガソリンをぶつかけて火をつけると話していた旨の情報を得ていたこと(前記第四、二、(二)1参照)、さらに当時の三派系全学連学生の過激な行動をも併せ考えれば、学生らが右危険物を所持しているおそれがあると信じたとしても無理からぬことである。

さらに、当時三派系全学連は「佐世保を第三の羽田に」をスローガンとしており(前記第四、二、(二)1参照)、いわゆる第一次、第二次羽田事件では羽田空港侵入を図つて警察部隊と衝突したものであり(前記不法事案一覧表および東京地方裁判所から取り寄せた第一次、第二次羽田事件に関する判決(写)によつて認める)、当時の新聞報道によれば、学生らは佐世保においても「基地突入」ということを標榜していたことが認められそのようなことがあればこれを阻止しようとする警察部隊との衝突は必至であるから、その際に右危険物が使用されることを予想したとしても、これまた理由のないことではない。

(三)  以上のとおりであるから、県警本部が警職法二条一項に基づき、学生らのうちとくに荷物をもつたり、ポケツトのふくらんでいる者を対象として職務質問しようとしたことじたいは違法ということはできない。

二、所持品検査の根拠および限界

(一) ところで、本件においては単なる職務質問にとどまらず学生に対し所持品検査がなされたのであるが、警察側は、その根拠について「右所持品検査は学生らの明示あるいは黙示の承諾を得たうえで行つたものであつて、〈1〉これは社会通念上、質問に附随する行為として警職法二条一項の「質問」の内容をなすものであり〈2〉また、このような任意手段による所持品検査は警察法二条に定める警察責務遂行のための職務行為として許さるべきものである。」と主張する(検察官より送付を受けた記録中の則松博道作成の申立書)。

(二) しかしながら、所持品検査をすることが、警職法二条一項の「質問」の中に含まれると解することは困難であり、承諾を得て行う所持品検査が社会通念上「質問」に附随する行為として「質問」の内容をなすものとも考えられず、むしろ同条同項にいう「質問」には単なる所持品に関する質問(例えば「何を持つているのですか。」「何が入つているのですか。」等)の域を超えて所持品の提示を求めることは含まれていないものと解すべきである。

このことは、昭和三三年に警職法の改正が企図され、改正法案の一条項として、同法二条一項の次に「警察官は第一項の質問に際し、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、又は犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者が、兇器その他人の生命又は身体に危害を加えることのできる物件を所持しているときは、一時保管するためこれを提出させることができ又、これを所持していると疑うに足りる相当な理由があると認められるときは、その者が身につけ、又は携えている所持品を提示させて調べることができる。」との一項を追加しようとしたが、右改正案は他の条項とともに基本的人権を不当に侵害するおそれがあるということで廃案になつた(右改正法案の「提示させて」とは、当時第三〇回国会の衆議院地方行政委員会における審議の際の政府委員の提案理由説明によれば、あくまでも相手方の承諾を前提とするものとされていた)経緯によつても裏付けられる。もつとも所持品についての質問の際、その相手方が兇器などを所持している疑いが濃厚であるにもかかわらず、警察官の質問に対して理由なく応じないような特別の場合には、質問の過程において、ふくらんでいるポケツトなど異常な箇所につき着衣あるいは携帯品の外部から触れる程度の社会通念上質問に通常附随するとみられる程度の行為は「質問」の一態様として許されるが、それを超えて所持品を提示させて調べる等のことはもはや「質問」の範囲に入らないものというべきである。

なお、銃砲刀剣類所持等取締法二四条の二第一項には、銃砲、刀剣類または同法二二条に規定する刃物について、警察官が一定の要件のもとに、それであると疑われる物を提示させ、またはそれが隠されていると疑われる物を開示させて調べることができる旨の規定(右にいう「提示させ」「開示させ」は解釈上、相手方の同意を要する任意手段とされている)があるが、本件学生らが右のような銃砲、刀剣類等を所持していると疑うに足りる相当な理由があつたことを認めるに足りる証拠はなく、また、右条項を右以外の物件についてみだりに類推解釈あるいは拡張解釈することは、前記警職法改正法案が廃案になつた経緯からみても許されないといわなければならない。

次に警察側は本件所持品検査の根拠として警察法二条を挙げるが、そもそも警察法は単なる組織法であつて、同法二条は警察の責務について定めたものにすぎず、なんらその責務遂行のための権限を警察官に与えたものではなく、右所持品検査の直接の根拠とすることはできないというべきである。

以上のとおり、本件所持品検査についてはその明文の根拠となるべきものはなく、犯罪捜査の場合における任意手段については刑事訴訟法一九七条のような明文の規定があるにもかかわらず、それより以上に濫用の危険性があると考えられる犯罪予防のための所持品検査について、前記銃砲刀剣類所持等取締法二四条の二第一項のような明文の根拠がない以上、警察側の主張するように、相手方の同意を前提とする任意手段であるからといつて、直ちに所持品検査が許されると解することには疑問がないわけではない(日本弁護士連合会人権擁護委員会警察官不当検問調査特別委員会の調査結果報告書中の第三検問の法理の項参照)。

しかし、右の考え方については、種々見解が分れており、警察側の主張のように、任意手段によるかぎり警察法二条に基づき所持品検査が許されるとか、警察官は、警察法二条の責務を遂行するため、強制権限の行使にあたる行為は具体的な法規の定めに基づかないかぎり行うことができないが、それにあたらない(すなわち相手方の同意に基づく)行為であれば、とくに法令によつてそれが禁じられていないかぎり、必要なあらゆる手段をとることができるという見解もあり、しかも警察の実務が右のような見解によつて行われているといわれている(宍戸=渋谷・警察官権限法注解1、三七頁、行政法講座第六巻一〇一頁参照)ことから、警察官が学生らの承諾を得たうえで所持品検査をすることが許されると信じたとしても無理からぬことである。したがつて、仮りに相手方の承諾があつても所持品検査は許されず、所持品検査をしようとすることじたいが客観的には公務員職権濫用罪を構成するとしても、警察官が右の見解のもとに、学生らの承諾を得たうえ所持品検査をしようとしたのであれば、職権濫用罪の犯意がないこととなり、結局公務員職権濫用は成立しないといわなければならない。

したがつて、以下、果して本件所持品検査が学生らの承諾を得てなされたかどうかについて検討する。

三、所持品検査の具体的態様について

<(一)ないし(四)略>

(五) 右(二)ないし(四)の各証拠(とくに措信しないとして排斥したものを除く)を総合すると、前記第四、三、(七)において述べた学生らが警察部隊によつて排除され、南集札口から出てきた際に、少くとも被害者(1)、(4)ないし(6)、(24)、(26)、(27)、(30)、(41)、(42)の一〇名は、職質部隊第一小隊(久保山小隊)員により、((5)岡本史紀、(41)前田義雄については、南集札口前広場まで連行されたうえ)承諾を求められることもなくいきなり着衣の上から身体にさわられあるいはポケツトに手を突つ込まれたりまたはナツプザツクなどの携帯品を強制的に取り上げられるなどして(なお(5)岡本史紀は警察官の要求により自らアノラツクのポケツトからタオルを出して見せ、(24)政田啓も同じく自らボストンバツグをあけて中を見せているが、右岡本は警察部隊により南旅客通路上から乱暴な方法で排除されたうえ、集札口を出たところで二人の警察官に腕をつかまれて連行されたものであり、右政田は警察官にしつようにつきまとわれいつまでも拒否していると逮捕されるかもしれないと思つたということであり、当時の博多駅における厳重な警備などその場の雰囲気を考慮すると、いずれも任意の承諾に基づくものとはいえず、警察官が右両名に対しポケツトやボストンバツグの開示を強要した結果によるものと認めるべきである)、少くとも被害者(7)、(9)、(23)、(25)、(34)、(35)、(37)、(44)の八名は、職質部隊第一小隊(久保山小隊)員か第二大隊第一中隊員のいずれかにより、承諾を求められることもなくいきなり着衣の上からポケツトをさわられ、あるいはポケツトに手を突つ込まれるなどして、それぞれ所持品を調べられたことが認められる。その具体的態様の詳細は、前記(四)において各被害者が供述するとおりである。

四、本罪の成否

右警察官の右被害者らに対する各行為は、いずれも刑法一九三条にいう公務員職権濫用罪にあたる。すなわち、右にみた所持品検査はいずれも被害者の承諾を得ずに強制的になされたもので、前記警察側の見解によつても、職権を濫用していることは明らかであり、刑法一九三条の「義務ナキ事ヲ行ハシメ」というのは、事実行為であつてもさしつかえなく、また積極的行為のほかに一定の職権の行使を受忍させる場合も含まれると解すべきであるので、右認定の警察官の行為のうち被害者らにポケツトやボストンバツグを開示せしめた点はもちろんのこと、着衣の上からポケツトなどをさわりあるいはポケツトに手を突つ込んだりまたは携帯品を強制的に取り上げたりして所持品検査をした点も本罪を構成する。なお駅前広場まで連行した行為が本罪にあたることはいうまでもない(警職法第二条第三項参照)。さらに前記警察側の見解に従つても、右のように学生らの意に反して所持品検査をすることの認識がある以上、当該警察官に職権濫用の犯意がなかつたということはできない。

しかしながら、右被害者らは、いずれも所持品検査をした警察官の顔を覚えていないと供述しており、現に職質部隊所属の被疑者の顔写真および押収したテレビ用一六ミリフイルムの所持品検査の場面の拡大写真を示して尋問した被害者らもいずれも自分らに対し所持品検査をした警察官を指摘することはできなかつた。また右テレビフイルムの拡大写真中の所持品検査を受けている人物が被害者らのうち誰であるかもついに判明しなかつた。さらに目撃者からも所持品検査をした警察官を特定するに足りる供述は得られなかつた。結局裁判所において審理を尽した結果によるも、各被害者に対応する個々の加害者の特定はできなかつた。

第七、被疑者らの刑事責任

警察部隊第一大隊第一中隊が学生らを南旅客通路において圧縮規制し、さらに階段下に排除する際に、右中隊員が少くとも二八名の学生に対し暴行を加えたこと、さらに学生らが南集札口から出てきた際に、職質部隊第一小隊(久保山小隊)員あるいは第二大隊第一中隊員が少くとも一八名の学生に対し強制的に所持品検査をしたことは前記第五、二、(五)および第六、三、(五)において認定したとおりである。

そこで、本件被疑者らについて右犯行の加害実行者または共犯者として刑事責任を負わせることができるかどうかについて、以下個別的に検討する。

一、前田利明、渡辺忠威

本件当時(1)前田利明は県警本部長、(2)渡辺忠威は同本部警備部長の職にあつて、(1)前田利明は警備本部長として本件警備についての最高責任者であり、(2)渡辺忠威は警備本部の幕僚として右前田を補佐する立場にあつたものであるが、右両名は、本件警備計画を立案し、各部隊に命じてこれを実施させたほか、状況視察のため当日博多駅に赴いていた(則松博道の証人調書、(2)渡辺忠威の回答書)ものの、右両名が現場における警察部隊の具体的行動なかんずく南旅客通路上の学生らの圧縮、排除、集札口外における所持品検査について直接指揮しあるいは部隊指揮官の指揮について指示を与えたことを認めるべき証拠はない。もつとも井上正治の証人調書には、南旅客通路上の学生らを排除するため第一大隊第一中隊が出動する際、右渡辺が手を上げて指揮した旨の供述があるが、現場において部隊指揮官をさしおいて警備本部の幕僚が直接指揮するということは不自然であり、則松博道の証人調書、申立書、(3)福井一二三の被疑者調書、検察官調書に照らして信用できない。したがつて、右両名が、右部隊を指揮して本件犯行を行わせたことを認めるに足りる証拠もない。

また、右両名が、事前に本件警備に際し、学生らに対する本件犯行について、他の本件被疑者らをはじめとする本件警備に出動した警察官ら(とくに第一大隊第一中隊、第二大隊第一中隊および職質部隊の各隊員)と共謀したことを認めるに足りる証拠はない。もつとも小林慶二の人権調査書には「一月一五日(本件の前日)朝も学生三〇人から五〇人ぐらいが博多駅に着いたが、南集札口のところで、私服警察官約一〇人が学生らの所持品を何も言わずに飛びついて中を調べたのを目撃し、警察のやり方に不審を抱いたので、同日午後八時ごろ、県警本部の渡辺警備部長に会つた際、その点をただしたところ、同部長は『いや当り前だ。明日はもつと徹底的にやるんだ。彼ら(学生らのこと)が明らかに佐世保を第三の羽田にすると言つている以上、警察としは徹底的にやらなければならんのだ。やる権利もある。だから明日はまず一般乗客と切り離したうえで、学生一人一人を徹底的に身体検査をする。』と述べた。」旨の供述があるが、これによれば、当時の警察側が学生らに対し相当強硬な態度をとつていたことが十分にうかがわれるが、右渡辺発言の真意は必ずしも明確ではない(ちなみに右渡辺の回答書によれば、同人はそのようなことは言つていないとのことである)ので、これのみでは右渡辺ひいては県警本部が学生らに対し強制的な所持品検査をする意図を有していたことの証拠としては不十分である。

二、福井一二三

(3)福井一二三は、第一大隊長として第一大隊全体を指揮すべき立場にあつたものであるが、同人が南旅客通路上の学生らを圧縮、排除すべく第一大隊第一中隊に実力行使を命じたことじたいは違法ではないことは、前記第五、一、(四)において説示したとおりであり、また同人が事前に同中隊員との間で学生らに対し暴行を加えることを共謀したことを認めるに足りる証拠はない(前記、第四、二、(二)、3参照)。

ところで、学生らに対し暴行を加えた同中隊員との間の現場における共謀は認められないかというに、同人は大隊長として部下の行動を十分に把握し、いやしくも違法行為などのないよう十分監督すべき義務があるところ、同人の被疑者調書(二通)によれば、同人は学生らの圧縮規制を始めたときは南旅客通路の奥の方にいたが、その後同中隊第一小隊の位置に行つて、圧縮をやめさせて、隊列を整えさせたのち、階段の途中に行つて排除の指揮をしたことが認められるので、当然前記第五、二、(五)で認定したような第一中隊員による学生らに対する暴行とくに階段上からの排除の際における暴行の少くとも一部については認識していたと推認されるが、仮りにそうだとしても、本件各暴行は後述のように密集した混乱状態の中にあつて行なわれた瞬間的なものでかつ全体的な部隊行動からみれば例外的なものであるので、同人がこれを容易に制止できるにかかわらずこれを放置したとか、また同人がそのような行為を認容していたと認めるに足りる証拠はないので、同人に指揮者として部下の監督に欠ける点があつたことは否めないとしても、直ちに本件暴行の共同正犯あるいは従犯としての責任を負わせることはできない。

なお、職質部隊は同人の指揮下にはなかつたことが同人の被疑者調書によつて認められ、さらに同人が右職質部隊員との間で学生らに対し強制的な所持品検査をすることを共謀したと認めるに足りる証拠はない。また第二大隊第一中隊は博多駅に到着したのち、同人の指揮下にはいつたのであるが、同人が同中隊員との間で学生らに対し強制的な所持品検査をすることを共謀したことを認めるに足りる証拠もない。

三、第一大隊第一中隊所属の被疑者

(一)  (4)上田豊は、中隊長として同中隊を指揮し、(5)小田切亨は同中隊第一小隊長、(6)香月敏男は同第二小隊長、(11)土居ノ内博は同第三小隊長としてそれぞれ各小隊を指揮する立場にあつたものであり、直接学生らに対しては実力行使をしたとは認められず、さらに(7)奥田信行は同中隊第二小隊第三分隊長、(8)片岡照征、(9)中山政人、(10)原口彦人はいずれも同分隊員であつたが、前記第五、二、(六)で説示したように個々の暴行被害者に対する個々の加害者を特定できない以上、右四名が加害実行者であると認めることはできない(とくに右奥田、中山の両名は前記第五、二、(一)で述べたように直接学生には触れていないと供述しており、また右四名が排除行為に関与したのはごく初めの部分のみである)。

(二)  右上田中隊長以下八名の者が、事前に他の中隊員の全員あるいは一部の者と学生らに対し暴行を加えることを共謀したことを認めるに足りる証拠はない。

また、学生らを圧縮、排除する現場における共謀は認められないかというに、第一中隊員により暴行を受けたと認められる学生の数は二八名(通路上における圧縮ならびに集団から引き出す際については一七名、階段上から階段下に排除する際については一四名)にすぎず、これは学生らのうち被害者として氏名の判明していた四五名の約半分であり、当日「雲仙・西海」で博多駅に下車した学生ら約三〇〇名の一割にも満たないものであつて、他に氏名の判明しない被害者で暴行をうけた者が若干はいるであろうことを考慮しても、なお学生らの大部分が暴行を受けたとはとうてい認められないうえ、本件暴行は旅客通路上から階段下にかけての圧縮、排除という混乱状態の中におけるそれぞれ瞬間的な行動であり、とくに階段上からの排除の際に、暴行を受けたと認められる学生は一四名にすぎず、学生らの中には自発的に階段を降りた者、さらには一団となつてなだれ落ちるようにして降りた者がかなりいた(前記第四、三、(五)参照)のであつて、右中隊員の全員またはその大部分が本件暴行を加えようとしたとは認められず、むしろ、野中定次、近藤佐賀男、田中欽弥、松延四郎、伊藤重憲、伊豆ハルミの各証人調書、検察官より送付を受けた記録中の巡査部長二宮昭雄撮影にかかる現場写真番号23、同伊藤剛撮影にかかる現場写真番号7、8によれば、階段の途中においてころびそうになつたりした学生を下から支えたりあるいは抱き止めたりした警察官もいたことが認められるので、右被疑者らを含む中隊員全員が現場において共謀のうえ前述の学生らに対する暴行の全部または一部をなしたと認めることは困難である。

もつとも、学生らに対し直接実力行使をした中隊員の中には、相互の行動を認識できる範囲においては、学生らに対する圧縮、排除行為の過程において、数名の者が互に意思を相通じて学生らに対し暴行を加えた場合があつたことは十分認められる。とくに(10)平田豪成に対する暴行の場合や、テレビフイルムに如実にあらわれている階段における排除の際の暴行の場合はそのことが明らかである。しかしながら、さらに進んで右被疑者らが、それらの場合の共謀者のうちの一人であることを認めるに足りる証拠はない。

(三)  もつとも上田中隊長は第一中隊全体の、各小隊長は各小隊のそれぞれ指揮者として部下の行動を十分に把握し、いやしくも違法行為などのないよう十分監督すべき義務があるが、(4)上田豊(中隊長)は、同人の被疑者調書(二通)によれば「私は学生らに対する圧縮終了後、後方(通路の奥)にいて一番ホームに逃げて行つた学生らが石を持つてくるかもしれないので、監視していた。前方(集札口側)にまわつたときはすでに学生は階段上から排除されていた。」旨供述しており、同人は階段上からの排除行為は見ていない可能性があり、また第一小隊および第三小隊は階段上からの排除行為には従事しておらず(前記第四、三、(五)参照)、しかも圧縮時の暴行は排除時よりもさらに混乱した状態で、しかも短時間のうちになされたことを考慮すると、右中隊長(4)上田豊、第一小隊長(5)小田切亨、第三小隊長(11)土居ノ内博の三名が、部下の学生に対する暴行について十分認識していたとは認められない。

次に、(6)香月敏男の被疑者調書(二通)によれば、同人は学生らを排除する際に主として階段を一、二段降りたところで第二小隊の前面にいたことが認められ、当然部下の行動を十分に把握できる状況にあつたのであるから、前記第五、二、(五)で認定した階段上からの排除の際の暴行については少くともその一部分は認識していたものと推認されるが、前に福井第一大隊長について説示したと同様に同人がこれを容易に制止できたにもかかわらず放置していたとか、同人がそのような行為を認容していたと認めるに足りる証拠はない。

したがつて、右四名についても、いずれも指揮者として部下の監督に欠ける点のあつたことは否めないが、本件暴行について共同正犯あるいは従犯としての責任を負わせることはできない。

(四)  また、本項の被疑者らが職質部隊あるいは第二大隊第一中隊の各隊員と学生らに対し強制的な所持品検査をすることを共謀したと認めるに足りる証拠はない。

四、第一大隊第二中隊所属の被疑者

(12)熊谷国夫は第二中隊長、(13)大塚蔵男は同第二小隊長、(14)高瀬富栄は同第三小隊長であつたが、同中隊は本件警備の際は終始南集札口外の広場で待機していたのみであつて、何ら部隊活動をしなかつたことが認められ(右三名の被疑者調書、検察官調書)、また右三名が他の被疑者をはじめとする本件警備に出動した警察官ら(とくに第一大隊第一中隊、第二大隊第一中隊および職質部隊の各隊員)と学生らに対し暴行を加えあるいは強制的な所持品検査をすることを共謀したと認めるに足りる証拠はない。

五、第一大隊第三中隊所属の被疑者

(15)田中正美は第三中隊長、(16)福井末生は同第一小隊長、(17)小田義人は同第二小隊長、(18)井上君次郎は同第三小隊長であつたが、同中隊は、南旅客通路上において鉄道公安部隊が学生らを後から押して排除しようとした際、その後方に学生らの逆流を防止するため阻止線を設け、右鉄道公安部隊が学生らに押し返されたので、これを受け止め二、三歩押し戻したのみであつて(右四名の被疑者調書、検察官調書((18)を除く))、右四名が他の被疑者をはじめとする本件警備に出動した警察官ら(とくに第一大隊第一中隊、第二大隊第一中隊および職質部隊の各隊員)との間において学生らに対し暴行を加えあるいは強制的な所持品検査をすることを共謀したと認めるに足りる証拠はない。

六、熊江謙之輔

(19)熊江謙之輔は、特科部隊の特別採証班員として、本件警備の際は終始南集札口外で採証活動に従事していたことが認められ(同人の被疑者調書)、同人が他の被疑者をはじめとする本件警備に出動した警察官ら(とくに第一大隊第一中隊、第二大隊第一中隊および職質部隊の各隊員)と学生らに対し暴行を加えあるいは強制的な所持品検査をすることを共謀したと認めるに足りる証拠はない。

七、職質部隊所属の被疑者

(一)  (20)加藤徳右エ門は職質部隊隊長、(21)須本晴義は同部隊副官、(22)久保山隆は同部隊第一小隊長、(35)御幡良平は同小隊付伝令であり、同人らの供述によれば同人らはいずれも学生らに対しては直接所持品検査はしなかつたことが認められ、(23)竹内弘、(29)上滝昇、(33)堀克之はいずれも同小隊の各分隊長であり、右三名についても学生らに対し直接所持品検査をしたことを認めるに足りる証拠はない。(24)島田哲郎、(25)森重修、(26)山口正義、(27)菊川光、(28)梅木義久、(30)木葉和則、(31)土井暢良、(32)塚本啓二、(34)桜井憲雄の九名は、いずれも第一小隊員であり、おおむね三人一組になつて((24)島田哲郎の申立書によれば、同人は(25)森重修、(26)山口正義と三人一組になり、(30)木葉和則の申立書によれば、同人は(31)土井暢良、(32)塚本啓二と三人一組になつたことが認められる)、南集札口から出てきた学生らに対し所持品検査をしたが、前記第六、四で説示したように右九名が学生らに対し、強制的に所持品検査をした加害者であることを確定することはできない。すなわち、関係証拠によれば職質部隊第一小隊は、小隊長以下三五名(うち一名は伝令)でそれが三個分隊に分れ、各分隊は分隊長以下一一名で各分隊員が三人ないしは四人で三つの組を作り計九組で学生らに対し職務質問(所持品検査)をしたと認められるところ、前記第六、三、(五)で認定したように、少くとも一〇名の学生が職質部隊第一小隊(久保山小隊)員によつて強制的に所持品検査をされたのであるから、右九名の隊員が右一〇名の学生に対する所持品検査のうち少くともどれか一つに関与しているのではないかとの疑いがある(とくに前記第六、三、(一)および(四)で述べたように(30)木葉和則の供述と(5)岡本史紀の供述は符合する点がある)が、職質部隊第一小隊員については他に氏名の判明しない者が二一名いて、それらの者については取調ができなかつたことを考慮すると、そのように断定することはできないのみならず、対応する被害について特定できない以上、加害実行者としての責任を負わすことはできない。

また職質部隊第二小隊(柿本小隊)の(36)柿本雪人、(37)北川歳英、(38)安武正義、(39)中園勝喜の被疑者調書、検察官調書((36)についてのみ)によれば、同人ら(氏名不詳の同小隊員三一名も含めて)は、いずれも南集札口外では職務質問(所持品検査)はしなかつたことが認められる。

なお、前記第一小隊(久保山小隊)中氏名不詳の二一名についても、もはやその氏名の判明する見込がなく、仮りに判明しても他の氏名の判明している一四名の被疑者らと同様加害実行者としての責任を負わすことは困難である。

(二)  前記第四、二、(二)、4で述べたところによれば、職質部隊には当初から学生らに対し強制的に所持品検査をする意図はなかつたと認めざるをえない。したがつて職質部隊所属の被疑者の全員または一部が事前に学生らに対して強制的な所持品検査をすることを共謀したと認めることはできない。

それでは現場における共謀が認められないかというに(第二小隊(柿本小隊)は南集札口外では学生らに対する所持品検査はしていないので、以下同小隊所属の被疑者については除外して考える)、前述したように前記第六、三、(五)で認定した強制的な所持品検査については、職質部隊第一小隊のうち小隊長、伝令、分隊長を除く全員がこれに関与しているのではないかという疑いがあるのであるが、やはり前述したように必ずしもそのようには断定できないうえ、本件所持品検査は南集札口外においてかなり広い範囲にわたつて、かつ、比較的短時間のうちに並行的に行なわれた((20)加藤徳右エ門、(21)須本晴義その他職質部隊所属の被疑者らの各被疑者調書)ものであるから、本項の被疑者らが全体的に互に他の被疑者らの行動を十分に認識しえたとは認められないので、右被疑者ら全員が現場において共謀のうえ学生らに対し強制的に所持品検査をしたと認めることはできない。

もつとも、職質部隊員は三人ないしは四人一組で行動したのであるから、少くともその範囲においてあるいは相互の行動を認識できる程度のもつと広い範囲において、互に意思を通じて学生らに対し強制的に所持品検査をした場合があつたことは十分に認められる。しかしながら本項の各被疑者(氏名不詳者を含む)がその共謀者のうちの一名であつたことを認めるに足りる証拠はない。

(三)  (20)加藤徳右エ門は職質部隊長として、(21)須本晴義は副官として、(22)久保山隆は小隊長として、(23)竹内弘、(29)上滝昇、(33)堀克之は分隊長として、それぞれ広狭の程度の差はあれ、部下の行動を十分に把握し、いやしくも違法行為などのないよう監督すべき義務があるところ、右の者らはそれぞれ南集札口外において所持品検査に従事する部下の行動を観察し、これに指示を与えていたのであるから、当然前記第六、三、(五)で認定したような第一小隊(久保山小隊)員による一〇名の学生に対する強制的な所持品検査の状況の少くとも一部については認識していた(全体につき認識していたとは認められないことは前記(二)で述べたとおりである)ものと推認され、そのような場合はこれを制止すべき義務があり、かつ容易に制止できたはずであるので、右六名については、その認識した範囲内の強制的な所持品検査に関して加害実行者との共同正犯あるいは従犯として刑事責任を認める余地が十分にある。しかしながら、右六名の被疑者がそれぞれ右一〇名の学生に対する強制的な所持品検査のうちどれを認識していたかを特定するに足りる証拠はないので、結局右被疑者らに刑事責任を問うことはできないことに帰する。

(四)  また、本項の各被疑者(第二小隊員、氏名不詳者も含む)が、第二大隊第一中隊員との間で学生らに対して強制的に所持品検査をすることを、また他の警察部隊(とくに第一大隊第一中隊)員との間で学生らに対し暴行を加えることを共謀したと認めるに足りる証拠はない。

八、鉄道公安部隊所属の被疑者

鉄道公安部隊員が、学生らに対し本件請求にかかる被疑事実のような暴行を加えたことは認められないことは前に述べたとおりであり、(第五、一、(三)参照)、また右被疑者(40)ないし(57)らが、警察部隊員(とくに第一大隊第一中隊)との間において、学生らに対し暴行を加えることを共謀したと認めるに足りる証拠はない。また、鉄道公安部隊が、警察部隊員(とくに第二大隊第一中隊、職質部隊の各隊員)と強制的な所持品検査をすることを共謀したと認めるに足りる証拠もない。

第八、結論

以上、要するに、本件請求にかかる被疑事実のうち、特別公務員暴行陵虐の点については、第一大隊第一中隊員(中隊長、小隊長を除く)中の、公務員職権濫用の点については、第二大隊第一中隊員および職質部隊第一小隊(久保山小隊)員(小隊長、分隊長、伝令を除く)中のそれぞれ誰かがその加害実行者であると認められるが、本件各被疑者がその加害実行者あるいはその共犯者であると認めるに足りる証拠がないので、結局本件各被疑者について犯罪の嫌疑不十分ということになり、「犯罪の嫌疑がない。」という理由で本件を不起訴処分に付した検察官の措置は結論において相当であり、本件各請求はその理由がないことに帰する。

よつて、刑事訴訟法二六六条一号により本件各請求を棄却することとし、主文のとおり決定する。

(被疑者名簿、被害者名簿、図面)<略>

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